タイトルが変! サイクリング自体が道草みたいなものだから。
でも、八ッ場ダム工事を見終わって帰宅途中、予定に道から逸れたから道草。
母校から下校する時、
右の道が所定の、左の細道が道草道でした。この先の集落に住む同級生と一緒に帰りたい時は、左に折れるのでした。
50年後の今回は電チャリで。
こんな所に踏み切り! 昔と変わらぬ姿。鉄道を横切って山側に畑があるので、踏切を横切る人がいるのす。
踏切ではないところを横断する人もいますし(のめしこきもよく同じことをします)。
この踏切から左方面はトンネルの向こうに矢倉駅が見えます。
右、郷原方面はちょっと長いトンネルです。
小学生の頃、短い方のトンネルを何回か徒歩で通り抜けたことがあります。長い方のトンネルも、上級生と一緒に潜り抜けたことがあります。校長先生に叱られましたが。
汽車(当時はまだディーゼル車でした)を止めたりしたら、国鉄職員だった父親は大変だったろうなともっと成長してから思いましたが、小学校低学年の当時は考えが及びませんでした。
トンネルの中にもこういうへこみがあるので、汽車が来たらそこへ良ければよいとみんな思っていました。子どもは怖いもの知らず。
こんな道にもいろいろな遊びがあって、時には道から逸れて山道に入って、楽しい道草でした。
岩櫃山も当時のままの姿。