少なくとも群馬県西部では、現在の主流は「〇〇家」と石塔に刻まれた家墓が一般的です。
しかし、昭和30年頃までは夫婦墓が一般的だったようなのです。
ある寺院の墓地を巡っていたところ、夫婦墓から家墓に変化していった理由を住職の奥様に伺いました。
住職なら知っているかもしれないが私は素人なのでと前置きしたうえで、敷地の関係で、代々夫婦墓を建てていくと、墓地がいっぱいになってしまうので、家墓に変化してきたのではないでしょうか、とのことでした。
のめしこきの祖父母は50年近く前に亡くなったのですが、土葬でした。当時は墓標に興味などありませんでしたから、夫婦墓だったか家墓だったか記憶がありません。
のめしこきは土葬と火葬の関係もあるかなとも思っているのですが、調べてみないと判りません。