舛添要一東京都知事と会談した韓国の朴槿恵大統領は、「(慰安婦については)普遍的な人権問題。真摯(しんし)な態度で努力し、解決できる問題だと思う」と述べました。韓国にとっては日本に対して従軍慰安婦がよほど重要課題のようです。韓国憲法裁判所は、慰安婦が賠償請求を得られる様に政府が行動しないのは憲法違反であるとの判決を出したから行動せざるを得ないのでしょうが、日本にとってはいい迷惑です。
慰安婦が韓国で騒がれだしたのは、1990年前後からです。朝日新聞の誤報などで火がついたように思います。国際政治や歴史について素人の私には、何で戦後50年近くたって火がつくのかと思います。
韓国の東北亜歴史財団では「慰安婦」に動員された女性の総規模は最低に見積もっても5万人前後であり、一定期間監禁され、強姦されていた人々まで含むと8万から20万人近くになると推定されているのだそうです。戦時中それだけの女性が強制的に連行されて性奴隷にされていたなら、なぜその当時その方々の家族は抗議しなかったのでしょうか。
当時の1940年当時の朝鮮の人口は2400万人です。1940年当時の平均寿命は分かりませんでしたので、1960年のデータですが女性55歳です(世界銀行World Databank、2014)。当時の朝鮮の女性人口は約1200万(1200万÷2)で、0歳~55歳まで各年齢層に21万人程度の女性が分布していたと思われます。慰安婦の年齢の幅を17歳~25歳までと仮定すれば、160万人中5~20万人ですから、お年頃の女性8~32人に1人程度は強制的に連行され、性奴隷にされていたことになります。大変な事態です!!! 当時は日本の統治下におかれたから、抗議できる状況ではなかった? まさか、自分の家族がひどい目に会えば、親は当然捨て身で抗議するでしょう。また隣の娘が連行されれば、ご近所さんも黙っていないでしょう。抗議もしないで韓国の男たちは何をしていたのか。日本軍に志願していたのです。志願者は1938~1943年までで802147人、入隊者17364人です。つまり朝鮮の男たちは抗議するのではなく、日本軍に入隊しようと励んでいたわけです。朴大統領の父上は日本の陸軍士官学校を卒業し陸軍中尉になっています。終戦時は師団の副官としてソ連と戦っています。
当時は日本の圧力が強く、志願も実は強制だったというなら、大韓民国建国が1948年ですから、それ以後ならまったく日本の圧力は無いはずです。なぜ、抗議運動が燃え上がらなかったのか。当時はまだ慰安婦の父母は健在だったでしょう。それ以後も長い間兄弟姉妹は健在だったでしょう。ならば、家族から抗議運動が盛り上がっても良かったのではないでしょうか。ウィキペディアの「慰安婦」の項目に韓国の中央日報紙で取り上げられた慰安婦関連記事数の推移が載っています。
年度 | 日本軍慰安婦関連記事数 | 米軍・国連軍慰安婦関係記事数 |
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1951-55 | 1件 | 17件 |
1956-60 | 0件 | 36件 |
1961-65 | 0件 | 56件 |
1966-70 | 1件 | 118件 |
1971-75 | 5件 | 39件 |
1976-80 | 0件 | 20件 |
1981-85 | 4件 | 9件 |
1986-90 | 5件 | 8件 |
1991-95 | 616件 | 3件 |
50年間殆ど報道されていなかったのですから、抗議運動は無かったに等しいのです。
まとめると、慰安婦に関する韓国の主張が正しいなら、かなりの割合で若い朝鮮女性が慰安婦として強制連行される塗炭の苦しみの中、その家族をはじめとする人々は抗議もせず、年頃の男性は日本軍に入隊すべく志願に殺到し、韓国建国後も声を上げなかった。何と薄情な民族性なのでしょう。そして50年後、朝日新聞などに教えてもらって、騒ぎ出したというのが「正しい歴史認識」になると思います。