古代上野国の中心は総社地域にありました。国分寺・国分尼寺があり、それより前に放光寺(山王廃寺)がありました。上野総社神社もあります。
総社古墳群は前方後円墳(二子山古墳)から大化の改新(645年~ 薄葬令642年)頃の方墳(宝塔山古墳・蛇穴山古墳)へと続きます。
その方墳の規模が大きく石室の造りも立派なので、上野国を治める王(上野野氏)の墓と考えられています。
宝塔山古墳。一編60mの大型方墳。
石室口に合うかのような板状の大きな石が右に見えます。石室口を塞ぐ蓋石でしょうか?
切り整えられた石材が積まれた石室。天井石は巨大です。
そして白漆喰で塗り固められていた痕が残っています。
石棺。
宝塔山古墳・蛇穴山古墳は大化の改新・薄葬令から律令国家となった大宝律令(701年)の頃までにできた古墳です。この地には国分寺・国分尼寺(741年)に先立ち、古代の大寺院・放光寺(山王廃寺)が立っていました。石材加工技術の特徴から放光寺を立てたのも両古墳に眠る王だったと考えられています。







