請看元侍御 亦宿此郵亭

qǐng kàn Yuánshìyù, yì sù cǐ yóutíng

監察御史の元稹を見てください。また、この宿場に泊まって、


因聽思歸鳥 神氣獨安寧

yīn tīng sīguīniǎo, shénqì dú ānníng

思歸鳥の(声を)聽いたことにより、その神氣(精神力、気力)は獨り安寧としています。


問君何以然 道勝心自平

wèn jūn hé yǐ rán, dào shèng xīn zì píng

君になんでそうなのか質問したところ、道が勝れば心は自ずからおだやかで、


雖爲南遷客 如在長安城

suī wéi nánqiān kè, rú zài cháng’ānchéng

南方に左遷させられる者になっても、長安城(唐の都)にいるようですと。


云得此道來 何慮復何營

yún dé cǐ dào lái, hé lǜ fù hé yíng

云(ここ)にこの道を得てから、何を慮り、また、何を営むでしょうか(心配や苦労などありません)。


窮達有前定 憂喜無交爭

qióngdá yǒu qiándìng, yōuxǐ wú jiāozhēng

窮達(きゅうたつ、困窮と栄達)は前から定まっていて、憂喜(ゆうき、憂いと喜び)は交爭(交々(こもごも)争うこと)がありません。


所以事君日 持憲立天庭

suǒyǐ shì jūn rì, chíxiàn lì tiāntíng

ゆえに、君(皇帝)に事(つか)える日には、持憲(法令を担当する者)として朝廷に立ち、


雖有迴天力 撓之終不傾

suī yǒu huítiānlì, náo zhī zhōng bù qīng

迴天力(天子を正道に戻す諫言の力)がありましたが、これを撓(たわ)めようとして、終(つい)に傾けることができませんでした。


況始三十餘 年少有直名

kuàng shǐ sānshíyú, niánshǎo yǒu zhímíng

まして、年齢は三十歳を超えたばかりで、若いのに真っ直ぐであることで知られ、


心中志氣大 眼前爵祿輕

xīnzhōng zhìqì dà, yǎnqián juélù qīng

心中の志氣は大きく、眼前の爵祿(爵位、俸禄)などは軽く見ています。


君恩若雨露 君威若雷霆

jūn’ēn ruò yǔlù, jūnwēi ruò léitíng

君恩は雨露のようで、君威は雷霆(激しい雷)のようです。


退不苟免難 進不曲求榮

tuì bù gǒu miǎn nán, jìn bù qū qiú róng

退くにしても、難を免れるようとはせず、進むにしても、曲げてでも栄達を求めることはしません。


在火辨玉性 經霜識松貞

zài huǒ biàn yùxìng, jīng shuāng shí sōngzhēn

玉の性質は火の中で見分けられ、松の貞節は霜を經て認識されます。


展禽任三黜 靈均長獨醒

zhǎnqín rèn sān chù, língjūn cháng dú xǐng

展子禽(柳下惠)は三度官職をおとされるのに任せました。靈均(屈原)はつねに獨りだけ目醒めていました。


獲戾自東洛 貶官向南荊

huò lì zì dōngluò, biǎn guān xiàng nánjīng

(元稹は)戾(つみ)を獲(え)て、東都洛陽から(西都長安に呼び出され)、官を貶されて、南荊(江陵)に向かわされました。


再拜辭闕下 長揖別公卿

zàibài cí quèxià, chángyī bié gōngqīng

再拜して闕下(けっか、宮中の門の下、天子の御前)を辭(じ)し、長揖(ちょうゆう、拱手(きょうしゅ)、丁重な敬礼)して公卿たちと別れました。


荊州又非遠 驛路半月程

Jīngzhōu yòu fēi yuǎn, yìlù bànyuè chéng

荊州(江陵)はまた遠くなく、驛路(えきろ、宿駅のある街道)では半月程です。


漢水照天碧 楚山插雲靑

Hànshuǐ zhào tiān bì, Chǔshān chā yún qīng

漢水は天を照らしてあおみどり色に輝いて、楚の山は雲を貫いて高くそびえ青々としています。


江陵橘似珠 宜城酒如餳

Jiānglíngjú sì zhū, Yíchéngjiǔ rú táng

江陵のみかんは真珠のように丸く、宜城の酒は飴のように甘いといいます。


誰謂譴謫去 未妨遊賞行

shuí wèi qiǎnzhé qù, wèi fáng yóushǎng xíng

誰が咎めを受けて流されたというのでしょう。遊賞(山川を遊覧して観賞)しに行ったと言っても差し支えありません。


人生百歲內 天地暫寓形

rénshēng bǎi suì nèi, tiāndì zàn yù xíng

私たちは人生百歳の内、天地に暫(しば)し身を寄せています。


太倉一稊米 大海一浮萍

tàicáng yìtí mǐ, dàhǎi yìfú píng

太倉のなかの一粒の稊米(ていまい、いぬびえ)、大海のなかの一つの浮萍(ふへい、浮草)のように小さな存在です。


身委逍遙篇 心付頭陀經

shēn wěi xiāoyáopiān, xīn fù tóutuójīng

逍遙篇(しょうようへん、荘子)に身を委ねて、頭陀經(ずだきょう、仏教)に心を付(託)して、


尙達生死觀 寧爲寵辱驚

shàng dá shēngsǐguān, níng wéi chǒngrǔjīng

もし、生死觀に達したら、寵(ほまれ)や辱(はずかしめ)に動じることはありません。


中懷苟有主 外物安能縈

zhōnghuái gǒu yǒu zhǔ, wàiwù ān néng yíng

中懷(内心)に主があるなら、外物はどうして縈(まつ)わることがありますか(地位とか名誉とか外的なものより、心が大事です)。


任意思歸樂 聲聲啼到明

rènyì sīguīlè, shēngshēng tí dào míng

思いのままに、思歸樂よ、声をそろえて明けるまで鳴いてください。


(四)に続く


画像は白居易