放魚

fàng yú

魚を放つ


自此後詩到江州作

zì cǐ hòu shī dào jiāngzhōu zuò

これより後の詩は江州に到ってからの作


曉日提竹籃 家童買春蔬

xiǎorì tí zhúlán, jiātóng mǎi chūnshū

明け方に竹籃(竹籠)を手に持ち、家童(いえわらわ、子供の召使)が春蔬(春野菜)を買ってきました。


靑靑芹蕨下 疊臥雙白魚

qīngqīng qínjué xià, diéwò shuāngbáiyú

青々とした芹(せり)と蕨(わらび)の下には、雙(双)白魚が重ねて寝かされていました。


無聲但呀呀 以氣相煦濡

wúshēng dàn yāyā, yǐ qì xiàng xù rú

聲(声)は無くただ呀呀としながら(口をパクパクしながら)、お互いの氣で煦(あたため)たり、濡(うるお)したりしています。


傾籃寫地上 撥刺長尺餘

qīng lán xiě dìshàng, bōcì cháng chǐyú

籃(籠)を傾けて地上に移すと、撥刺(はつらつ)として長さは一尺餘(あま)り(30センチ以上)あります。


豈唯刀机憂 坐見螻蟻圖

qǐ wéi dāo jī yōu, zuò jiàn lóuyǐ ú

どうして包丁と俎板の憂いだけでしょうか、まさに、螻蟻(ろうぎ)の圖(ず)(虫ケラや蟻に食われる絵図)を見るでしょう。


脫泉雖已久 得水猶可蘇

tuō quán suī yǐ jiǔ, dé shuǐ yóu kě sū

泉を脱してすでに久しいといえども、水を得ればまだ蘇ることができます。


放之小池中 且用救乾枯

fàng zhī xiǎochí zhōng, qiě yòng jiù gānkū

これを小池の中に放って、とりあえず乾いて枯れてしまうのを救いました。


水小池窄狹 動尾觸四隅

shuǐ xiǎochí zhǎixiá, dòngwěi chù sìyú

水は小さく、池は窄狹(さっきょう)としていて(すぼまってせまくて)、動く尾ひれは四隅に觸(ふ)れてしまいます。


一時幸苟活 久遠將何如

yīshí xìng gòu huó, jiǔyuǎn jiāng hérú

一時的に幸いに仮にも活きるも、長く久しくなればどうでしょうか(きっとダメでしょう)。


憐其不得所 移放於南湖

lián qí bù dé suǒ, yí fàng yú nánhú

その所を得ないことを憐れみ、移して南湖(鄱陽湖)に放ちました。


南湖連西江 好去勿踟躕

nánhú lián xījiāng, hǎoqù wù chíchú

南湖は西江(長江)に連なります。さようなら、踟躕(ちちゅう)することなどありません(ためらうことなどありません)。


施恩卽望報 吾非斯人徒

shīēn jí wàngbào, wú fēi sīréntú

恩を施すのは、報いを望むからだといいますが、私はそのような人間ではありません。


不須泥沙底 辛苦覓明珠

bùxū níshādǐ,xīnkǔ mì míngzhū

泥沙の底で、辛苦(しんく)して、明珠(真珠)を覓(もと)めることはありませんよ。


タイトルの後に書かれているように、白氏文集において、これより後の詩は江州に到ってからの作品です。


815年に、白居易は直言による越権行為を咎められ、江州司馬に左遷させられました。江州は江西省九江市です。司馬は州の属官で、左遷させられた人が就きました。


それよりも前の810年に、大親友の元稹も左遷させられていました。白居易は彼のために、上奏文(元稹を論ずる第三状)(※1)を書きました。


「青々とした芹(せり)と蕨(わらび)の下には、雙(双)白魚が重ねて寝かされていました。」の箇所は、青と白のコントラストの鮮やかさが目に浮かぶようです。


白魚は、その文字から白居易自身のことを言っているのだと思いますが、それが、二つあるわけですから、もしかすると、もう一方は元稹のことかも知れません。


せっかくですので、以下、雙(双)白魚が元白の二人であることを前提に解釈してみたいと思います。


「聲(声)は無くただ呀呀としながら(口をパクパクしながら)、お互いの氣で煦(ふ)き、濡(うるお)している。」の箇所は、元白の境遇が似ており、心が通じあっていること、これまで、手紙のやり取りで、お互い勇気づけ、気持ちを潤してきたことを言っているように感じました。


「呀呀」の当時の発音は分かりませんが、今の標準語(普通話)では、yāyā、つまり、iaを組み合わせた複母音です。魚の口が閉まったり開いたりしている様子を表しています。


「籃(籠)を傾けて地上に移すと、撥刺(はつらつ)として長さは一尺餘(あま)り(30センチ以上)あります。」の箇所は、型にはまらない元白の二人は、世に出ても、直言居士で、撥刺とした丈夫(立派な男子)であると言っているように思えます。


「どうして包丁と俎板の憂いだけであろうか、まさに、螻蟻(ろうぎ)の圖(ず)(虫ケラや蟻に食われる絵図)を見るでしょう。」の箇所は、包丁や俎板は、時の権勢を誇る奸臣かもしれません。また、虫ケラや蟻は、奸臣に阿諛追従し、元白を攻撃する小物のことでしょうか。


そして、白居易は、雙(双)白魚を小池に移します。しかし、そこはあまりに狭く、四隅に尾ひれがぶつかってしまいます。元白の二人が、あまりに役不足で、実力を発揮できない状況を暗示しているように感じられます。


前回ご案内した新たに布裘を製する詩」の中で、白居易は「何とかして萬里の裘(毛皮)を得て、四方の境(四垠)を囲いたいものです(世界を覆いたいものです)。」と言っていました。


四垠と四隅では、雲泥の差、月とスッポンですね。元白は中央で働けば、天下のために活躍できる人材ですが、地方の属官であれば、一隅を照らすに止まります。世のため、人のためには、もったいない人事ではないでしょうか。


結局、白居易は、雙(双)白魚を南湖(鄱陽湖)(Póyáng hú)に逃してしまいます。鄱陽湖は中国最大の淡水湖で、西江(長江、揚子江)に通じています。自然に還してしまうわけです。


余談ですが、同じく長江に通じている洞庭湖(Dòngtíng hú)は、中国で二番目に大きい淡水湖です。湖南省と湖北省は、洞庭湖の南と北にあるので、その名が付けられました。


話を戻しましょう。


今回の「魚を放つ」で、白居易が魚を自然に還す様子から、前々回の「王處士(在野の士)に送る詩」が頭をよぎりました。いっそのこと、王質夫のように、隠者となって、自然の中で暮らしたい。白居易は一瞬そのように思ったのかもしれません。しかし、実際には、そうはしませんでした。


白居易は、あくまで魚を見送る立場として、真珠などの見返りを求めないと言って締めくくっています。


買い出しに行った家童(いえわらわ、子供の召使)は、さぞかし驚いたことでしょう。アーティストらしいといえば、アーティストらしい主人白居易の不思議な振る舞いを見てどう思ったのでしょうか。


(※1)詳しくは、岡村繁著『白氏文集 1 新釈漢文大系(97)』(明治書院、2017年)14-16頁。




画像は白居易