新製布裘詩

xīn zhì bùqiú shī

新たに布裘を製する詩


桂布白似雪 吳綿軟於雲

guìbù bái sì xuě, wúmián ruǎn yú yún

桂州(現在の桂林)の木綿は雪のように白く、呉(現在の蘇州)の真綿は雲のように軟らかいです。


布重綿且厚 爲裘有餘溫

bù zhòng mián qiě hòu, wéi qiú yǒu yúwēn

布を重ねて、かつ、真綿も厚くして、裘(毛皮)を作っているので暖かさが余って(残って)います。


朝擁坐至暮 夜覆眠達晨

zhāo yǒng zuò zhì mù, yè fù mián dá chén

朝から掛けて暮れるまで座り、夜には被って朝まで眠ります。


誰知嚴冬月 支體暖如春

shuí zhī yándōng, zhītǐ nuǎn rú chūn

誰が知っているでしょうか、嚴冬の月に、支體(肢体)が春のように暖かいということを。


中夕忽有念 撫裘起逡巡

zhōngxī hū yǒu niàn, fǔ qiú qǐ qūnxún

夜中に突然思うことがあり、裘(毛皮)を撫でながら起きて逡巡としました。


丈夫貴兼濟 豈獨善一身

zhàngfū guì jiānjì, qǐ dú shàn yīshēn

丈夫(立派な男子)は兼濟(人々を平等に救うこと)を貴び、どうして獨り一身だけを善くするだけで良いのでしょうか。


安得萬里裘 蓋裹周四垠

ān dé wànlǐ qiú, gàiguǒ zhōu sìyín

何とかして萬里の裘(毛皮)を得て、四方の境を囲いたいものです(世界を覆いたいものです)。


穩暖皆如我 天下無寒人

wěnnuǎn jiē rú wǒ, tiānxià wú hánrén

皆私のように穏やかで暖かく、天下に寒さに震える人を無くしたいものです。


白居易は、折れた剣先であったり、真っ直ぐに伸びた桐の木であったり、よくモノを見て、感受性が働き、それを詩で表現します。


今回取り上げる「新製布裘詩」も同様です。裘は、今で言ったらダウンジャケットのようなものでしょうか。裘といえば「鶏鳴狗盗」に出てくる「狐白裘」が有名です。


白居易は「丈夫は兼濟を貴ぶ」と言っています。兼濟は人々を平等に救うことです。また、立派な男子は、自分さえ良ければそれで良いでは、ダメであるとも言っています。


戦前、兼濟を名前にした人物もいます。原口兼濟(1847-1919年)です。彼は、日露戦争(1904-1905年)で樺太を占領した陸軍中将です。


また、濟は救うという意味ですが、明治天皇の濟生勅語によって、困窮して医療を受けることができない人達に無償で医薬を提供するようにと設立されたのが濟生会です。濟生は、生命を救済するという意味です。兼濟も濟生も同じ心の働き、つまり、仁愛が発露したものと言って良いと思います。


白居易の「丈夫は兼濟を貴ぶ」の思いは、萬里の裘で、四方の境を囲い(世界を覆い)、天下に寒さで震える人を無くしたいという宣言で締め括られています。超がつくほど非常に雄大な想像力、表現力ではないでしょうか。


萬里といえば、始皇帝の「萬里の長城」が思い浮かびますが、白居易は「萬里の裘」で四方の境を囲いたいといっています。その表現からして、白居易も萬里の長城を念頭に言っているのだと思います。同じ萬里でも、始皇帝のは厳しく、冷たい長城、白居易のは穏やかで暖かい裘です。とても対照的に思えます。


また、漢帝国を興した劉邦は、始皇帝を見た時に「ああ、大丈夫(立派な男)たるもの、まさにこのようにならなくてはいけない」といったそうです。


劉邦の理想の丈夫像と白居易の理想の丈夫像とは正反対のような気がします。白居易にしてみれば、自分一人だけ良ければ、それで良いわけでは決してありません。兼濟を貴んでこそ、立派な男子です。


「新たに布裘を製する詩」から、白居易の人々に対する穏やかで暖かい心が伝わってような気がします。


一方、萬里の裘と言ったのは、かなりの大きな政策を行うという意気込み、行政官としての心構えからでしょう。自分に対しての厳しさを感じます。


もしかすると、裘を撫でているときに、内側の暖かさを、外側の裘が守ってくれている、その温度差を感じての想いなのかもしれません。