私には義父がいます。義父とは、私の伯父(父の兄)です。前近代的と言われるかもしれませんが、私は、跡継ぎのいない義父の血統(男系)を維持する役目を与えられたといっても決して過言ではありません。


義父は、私が子供の頃、よく日本の神社仏閣に連れて行ってくれました。義父は小さな会社の創業者でした。そして、特別な力があって、よく人助けをしていました。


義父は端的にいうといわゆる霊能者で、私もそばで何度も不思議なことを見せてもらいました。相談者の家の間取りを正確に言い当てたり、難病の車椅子の人を立たせたり、枚挙にいとまがありません。義父は本業があったので、霊能者としての人助けは全てボランティアでしていました。


その義父が生前に話していたことの中で、心に深く残っていることがいくつかあります。


一つ目は、亡くなった私の祖父(義父からみたら父)が、自身の骨壷を持って、義父の夢枕に立ったというエピソードです。義父が、目が覚めた日に、慌てて納骨堂に連絡をすると、祖父のお骨は、あと数日で無縁仏に入るところであったそうです。義父は、すんでのところで、お骨を受け取り、お墓を建て、供養をすることができました。(後に私が祖先を辿ることができたのは、祖父のお墓が残っていたからです。)。


2つ目は、家に大坪家の仏壇を置いた時のこと。その時、義父は、祖父の家系の仏壇を置かなくてもよいのかなと呟きました。それに対し、祖母は、あたかも義父の言葉を打ち消すように「必要ない」といって、結局実現しませんでした。


私は、戸籍上、大坪の氏を名乗っていますが、それは祖母の氏で、男系では祖父の白氏です。(その経緯についてはまたいずれ。)。その時の、義父と祖母のやりとりは、今も深く心に残っています。


3つ目は、(私の)祖父の先祖が国を動かす大変立派な人物であったという義父の話です。だから「自信を持ちなさい」と、よく言われました。しかし、誰と聞いても、名前までわからないといいます。祖父からの言い伝えを忘れてしまったのだと思います。


4つ目は、義父が、先祖が朝鮮のどの国の人か、新羅か、百済か、高句麗か気にしていたことです。私は、その時、無意識で「もともとは中国じゃないの?」と口走りました。後に、この無意識の発言も間違いではないことがわかることになります。


以上の記憶がずっと頭の片隅にあり、義父が亡くなり、だいぶ時が経ち、ふとしたことから、そのなぞなぞを解きたいという気持ちに駆られ、先祖を辿ることにしました。


その過程で、紆余曲折がありましたが、一部は、以前のブログ(「白居易と私」)に書いた通りです。


私は、子供の頃から、歴史が大好きだったので、その作業は、非常に楽しく、どんどん掘り下げて行くことができました。そして、まるで、運命かのように、真実に近づいていきました。


実は、先祖が国を動かす立派な人だったというのは、正直「本当かしら」という気持ちもありました。しかし、唐そして新羅から大韓帝国に至るまで脈々と続くような、本当の話でした。調べる前は、どうせ分家の分家のまた分家だろうと思っていたのですが、一族の中では、最も直系筋で余計に驚きました。


かくして、一応の答えは得たのですが、これがどのような意味を成すのかは、これからの展開次第だと思います。しかし、直感的には、きっとアジアの平和、世界の平和に繋がることだと信じています。なぜなら、それ以来、平和を語る仲間に出会うようになったからです。


[2023年9月15日、「である調」から「ですます調」に改めて、若干修正しました。]




画像は水原白氏の鼻祖、白宇経(唐の吏部尚書・新羅の宰相)(白居易の堂兄)