幸福とは何か?世の中には、色々な幸福論がありますが、今日は漢字の成り立ちを見ながら考察してみたいと思います。


まず、「幸」の文字ですが、これは手枷(てかせ)、現代風に言えば手錠(てじょう)から来ているそうです。横に倒して、びよーんと伸ばしてみると、そのように見えてきます。なぜ、手枷が幸せなのかというと、昔は、八裂き、火炙り、釜茹でなど、残虐な刑罰が沢山あったそうで、手枷で済んだらラッキーだったようです。


例えば、車に轢かれそうになったときに、自分のことを不運だと嘆くのか、助かって運が良かったと喜ぶのかは、その人次第です。同じ現象に対しても、解釈は人それぞれです。そうすると、幸せとは、結局はその人の捉え方次第ということになるのかなと思います。思考にはパワーがあると言われますから、良い解釈をしていると、本当に良いことに囲まれて行くのかも知れません。


次に、「福」の文字ですが、左が示す偏で、右がお酒が沢山入った容れ物だそうです。この示す偏は、神様にお供えをするための台を意味し、右側は神様に奉納する御神酒を意味します。(お酒の他に、倉が満ちているという意味であるとの説明もあります。)。

農業社会では、お米が沢山穫れたら、お酒も作り、天地の惠に感謝し、神々と共有し、祝ったんだと思います。

しかし、神様は決してタダで福を受け取っているわけではありません。いつも私たち人間に自然の惠を与えてくれています。それをキャッチした人間が、感謝の気持ちをカタチにして奉納をしているわけです。(「労働したからオレのもの」とは考えていないわけです。)。


一方、人間には個性があります。別言すると天からギフトをもらっています。そのギフトを、世のため人のために惠むと、巡り巡って、福がやって来ます。例えば、人間は感謝の気持ちを手土産で表すことがよくあります。受け手は、お供え物をされた神様と同じように福をいただいていると言えます。このように感謝の気持ちをカタチにしシェアしたものが福とも言えるのではないでしょうか。私は、惠と福が好循環している世界はとても素晴らしいと思います。


人間はいつかは土に還ります。しかし、人間は、その還るところを自分のものだと言い張って争いごとを起こす非常に愚かな存在でもあります。天地の惠に感謝し、シェアする心を持てば、人間は幸福でいられると思います。私は、世の中がだんだんそのような良い方向に進んでいると考えています。


「幸福」を漢字の成り立ちから考察したら、どうやら、その結論は、考え方次第、感じ方次第と言えそうです。感謝の心はカタチにして、伝えていきたいし、天からのギフトは気持ちよくシェアしていきたい。そのように思います。