最近、ライブ配信やSNSについて考えることがあります。
私たちが好んでいる人、憧れている人が、自分のことを認識してくれる。そしてそれがリアルタイムで反応してくれる——そこには確かな臨場感があります。
当然、生配信ですから、そのライブの臨場感によって「楽しい世界が作られた」と錯覚してしまうわけです。実際、楽しいという感覚は本物なんですよね。でも、それは全部虚像なんです。
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これが今の人生の一側面です。
現実の社会で、もしインターネットのない世界だったとしたら、今の状況をどう感じるでしょうか。そんな人が実際にはいなかったとしたら——でも、相手をしてくれたら嬉しいじゃないですか。
だから、どんどん課金をしてしまう。配信者側は、どんどんお金を得たり、良い思いをしたりする。とはいえ、その女性配信者を見ている人たちの執着が激しくなって、束縛が強くなったりするから、心を病んでしまう人もたくさん見てきました。
どっちもどっちなのかもしれませんが、虚像の空間に臨場感を持ってしまって、錯覚を起こして「楽しい」という感覚が安売りされている——そんな感覚です。
果たして、そんなことをしていて良いのでしょうか。
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人生って、本当にあっという間ですよね。
身近に亡くなった人もいるので、それがすごくよくわかります。本当に、当たり前のことなんです。
何か強い信念を持とうが、良いことをしようが悪いことをしようが、あっという間に時間は過ぎて、私たちは死んでいってしまう。
だとしたら——人として生まれたのなら、人間のするべき行為をしたほうがいいと思うんです。
「なんとなく楽しい」ことをするんじゃなくて、自分の知性をどう使うかを自分で決める。それが大切だと思います。
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配信者に対して、知性を出して話すのはすごくいいと思うんです。でも、普通の配信に知性を出したら、逆に嫌われてしまう。マッチングアプリなんかもそうですけど、基本的に知性を出すと嫌われるんです。
ぶっちゃけ、1000人とマッチングしたからよくわかるんですよ。まず知性を出したら嫌われます。「議論する場じゃない」と言われちゃうんです。
「議論なんかしないですけど」と言ったら、それこそ議論になっちゃうから、非常に難しいんですけども。
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じゃあ、人間として生まれてきて、楽しみを作るって何かと言ったら——やっぱり知性を使って、この世界を生きることにトライすることだと思うんです。
それが、人として本当の楽しみを作り出せるんじゃないでしょうか。
それができたら、どこへ行っても楽しいはずなんですよね。自分の知性をちゃんと使うということをやれば。