脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座 -9ページ目

脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座

かつてガチガチの9条平和主義者だった私がその大矛盾に気づいてしまいました。
様々なテーマでリベラルの視点から、具体的・論理的に脱9条論を展開します。

 少し古い話になるが、朝日新聞2014年2月12日インタビュー記事である。  
答えるのは評論家、宇野常寛氏。まずは引用してみる。

  “リベラル勢力のある種の大衆蔑視だと思う”by宇野常寛

 “現実に東アジア情勢は緊迫し、北朝鮮の状況も混迷している。この状況下で防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、リベラル勢力は数十年前から 更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしない。
 たとえば自民党が国防軍の明記などを盛り込んだ憲法改正草案を発表したとき、多くのリベラルな憲法学者たちは「憲法とは何かを分かっていない」と自民党案 をバカにした。(中略)リベラル勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な処方箋を出せていない。(中略)国家に軍事力が必要であることも (中略)認めた上で(中略)現実的な選択肢を提示することがリベラル側にもっと必要だと思う。”
さらに
 “リベラル勢力のある種の大衆蔑視だと思う”
とつづく。

 もう100点満点の、9条と9条派を取り巻く分析である。
となればもう9条を改正し、あるいは条文を追加して自衛隊を合法化するのが法治国家として当然である、という結論になるはずなのだが、宇野氏の結論はそう はならない。“性急な改憲”には反対だそうである。つまり自衛隊の違憲状態をこのまま続けるって事で、よほど立憲主義が嫌いらしい。

 といっても私は宇野氏のこの矛盾を糾弾しようというのではない


 とても誠実で真面目な方なのだと思う。氏自身が指摘しているようなアリキタリの護憲派とは異なり、しっかりと現実と向き合い思索を重ね、9条とその信奉者達の矛盾と不真面目さに気づいてしまった。しかしそれでいてどうしても9条は否定出来ない。
 物心ついた頃からずっと9条を信奉してきた人間にとって、9条を否定することはそれまでの自分の人生の全てを否定することなのだ。
 この状態を私は“9条の呪縛”と呼ぶ。

 この“脱9条論”で9条と9条派をボロクソに全否定している私であるが、宇野氏の現在の矛盾こそ十数年前の私の姿なのである。
 十数年前、ある日ふと9条に疑問を感じた。それから自分自身あるいは日本を取り巻く現実を真面目に認識すればするほど9条の矛盾・インチキさは明確になってゆく。それでもどうしても9条を否定しきれない苦悶の日々。
 結局私が9条信仰から脱するのに十年以上の歳月を要した。

   がんばれ宇野常寛さん。

 あなたの現実を直視する勇気と誠実さがあれば、きっといつか9条信仰の呪縛から開放されて、新しい世界が見えてくる。

 そこで元9条派にして現脱9条派、そしてリベラルであり続ける私から老婆心ながらアドバイスを一つ。

 インタビューにおいて宇野氏は“国家に軍事力が必要であることも(中略)認めた上で”との発言の前に“私見では”と前置きをつけている。政治家でも公務員 でもNHKの経営委員でもなく“評論家”である氏の発言が“私見”であるのはアタリマエである。私見を述べる事こそが評論家の仕事だとも言える。そんなア タリマエの前置きをなぜ付けなければならなかったのか。

 それは9条を信奉する集団において9条信徒は全て公人であるのだ。世界と日本を9条によって平和へと導く公の存在、9条という“絶対神”に仕える選ばれし存在という意味において公人であるという認識なのだ。

 恐るべき選民思想であるといえる。
この認識こそが宇野氏も指摘する“リベラル勢力のある種の大衆蔑視”に他ならない。
 この9条集団に身をおき、この選民意識を持ち続けていれば、脱9条への道は遠いものにならざるを得ない。

 で、アドバイスの話でしたね。宇野氏が今以上に現実を直視し、氏の思想を深めるためにはまず、氏が現在身をおいている9条集団から距離を置くことが重要である。教団に身を置きつつ尚、反教団的思索を進めることなど生身の人間には不可能であるということだ。
 教団から距離を置き、私人が発言するのにいちいち“私見ですが”などと断らなくなった時に、宇野常寛氏は思想家として自立を果たすことが出来る。

 今後に期待したい。
 
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実は上記の文章は2014年当時に書いたもので、なぜか下書き保存のまま公開されずにいたものである。先日たまたま見つけたので改めて公開する。

 ちなみに宇野氏は、数ヶ月前報道ステーションに出演して
“現行憲法は時代に合わなくなっている。自衛隊の位置付けだけでも明確にすべきだ”
という趣旨の発言をして、9条派の古館伊知郎に嫌な顔されていた。

“9条の呪縛”から解放されたようである。めでたしめでたし。

 ポピュリズムが世界を席巻しているそうである。

ヨーロッパの右派ナショナリズム政党、英国のEU離脱派、アメリカのトランプ旋風などがその例として取り上げられる。
が、日本語で大衆迎合主義・大衆煽動主義などと訳されるこのコトバは非常に曖昧な概念であり、もとよりその政策を掲げる当事者は、自らの政策をポピュリズムだなどとは言わない。
ポピュリズムの語を使用するのは、あくまでその対立組織・運動であり多くは政治エリート・社会的エリート達である。従って彼らが他者をポピュリズム呼ばわりする時は徹底的に“上から目線”であることは言うまでもない。

そうした非常に恣意的な使われ方をされる曖昧な語である一方で、上記三例と対立する、例えばヨーロッパの伝統的左派政党や英国のEU残留派、民主党ヒラリー・クリントンなどはポピュリズムという誹謗を受けることはない。(他の誹謗はそれぞれ受けるにしろ)
ということはポピュリズムという語には曖昧で恣意的ながらも何らかの存在理由と意義はあるということなのだろう。
この語の持つそうした問題点は意識しつつ、ざっとポピュリズムの持つ共通点を以下に挙げてゆく。この共通点は“一政治運動がポピュリズムであるかどうか”の判断基準にもなるだろう。

  ポピュリズムの共通点あるいは判断基準

    そもそも大衆ウケをねらうという大前提のために

【1】
大衆の不安を煽りその安易な解決策を示す。

    が、わかりやすさを求める大衆のため

【2】政策は簡潔、ワンフレーズ程度で表される

    が、その政策は充分に練られたものではないため

【3】政策の根拠にはしばしばウソや非論理的なものが用いられる。

     従って

【4】個別の具体的政策は場当たり的であり、発言はコロコロ変わる。
 
     それをごまかすため

【5】検証や議論を回避しがちである。

     そうした弱点を覆い隠すために

【6】明確な“敵”を設定しこれを攻撃することで自らの優位性をアピールする。
  
     あるいは

【7】偏狭な国家主義・民族主義を煽る
 。

【8】一方まかり間違って、現実に政権を取るなどの実行機会を得ても、実行する政治的力量がないため、政策の実現はほとんど不可能、あるいは腰砕けとなる。
 
(【8】については異論もあろう。何しろ人類史上最悪のポピュリズムであったナチズムは“ユダヤ人追放”の公約を“大量虐殺”にまで拡大して“見事に”実現させたのだから。ただ今は時代が違う。メデイア・SNSの発達、経済と人的交流のグローバル化などは、“大量虐殺”などは言うに及ばず、国際常識に照らして、そうそうムチャな政策の実行の抑止力になっているからだ。少なくともソコソコの先進国・新興国レベルであれば。
実際英国のEU離脱派は、国民投票で勝利するや主要公約の多くを取り下げ、あるいは大幅にトーンダウンさせている。
トランプ旋風にしろ、“メキシコ国境に壁を作る、費用はメキシコに出させる”などの発言は、共和党の公約化に当たって“費用”については言及していない。明らかなトーンダウンあるいは腰砕けである。まあ万が一大統領になったとしても“一部に壁を作り国境警備を強化する”程度に落ち着くだろう。
“イスラム教徒の入国拒否”も完全に取り下げたようである。

というわけで、政策の“実現不可能性”をポピュリズムの判定基準に加える事にする。
逆に言えば“政治エリート達がポピュリズムと決めつけても、その政策を実現しえれば、これはもはやポピュリズムとは言えない”というのが私の見解である。
例えば減税。典型的な大衆迎合政策として対立候補あるいは政治エリートからはポピュリズム呼ばわりされるのは必至だが、政権を取り減税を実施し政治的成果をあげればもはやポピュリズムなどと卑下されるいわれはないだろう。そういう意味である。 )

まあポピュリズムが曖昧で恣意的な概念であるとはいえ、この8点のかなりを、あるいは全てを満たせば、その政策・政治理論はポピュリズムであると認定しても異論はあるまい。

  英国のEU離脱派のポピュリズム度を判定する

EU離脱派は当初より残留派あるいは外国知識人からポピュリズムと揶揄されていた。がこれはあくまで政治エリートによる恣意的悪口雑言でもありえると私は認識していた。離脱派の政策にもそれなりの理論と正当性があると思えたからだ。
しかし国民投票で離脱派が勝利するや、離脱派のリーダー達はその運動から次々と“離脱”。また運動中の政策理論も多くがウソで固められていたことが判明、“公約”もあっさり撤回した。
これをもって私は“あ、離脱運動はやっぱりポピュリズムだったんだ”と認識した次第である。リーダーの離脱はこの政策の実現が自分たちの力量では“不可能”であるとの表明に違いなく、この時点で上記8点を全てクリアしたといえるからだ。
まあこのポピュリズムの尻拭いをするのが残留派のメイ新首相であるのがなんとも気の毒であるが、大した覚悟と自らの政治力量への自信である。
正にポピュリズムの対局にあるものといえよう。

さて私が認定した英国のポピュリズム、具体的には


“このままでは移民の生活のために税金を食いつぶしてしまう”と不安を煽り・・【1】

 “移民を閉めだして雇用の確保を”と、ワンフレーズで解決策を示したものの・・【2】、 
EUへの拠出金の額などは嘘だった。・・【3】

“EUへの拠出金を福祉・医療に当てる”や“移民の入国規制”という公約については撤回あるいは腰砕けに変わり・・【4】

それらのウソについて検証も釈明もない。・・【5】

英国は“ヨーロッパの一員”であるより“大英帝国”の復活を目指せ!と偏狭な国家主義・民族主義を煽り・・【6】

ブリュッセルのEU官僚とメルケルが英国の政策を牛耳っている、
移民さえいなくなれば英国民の暮らしは良くなる、と“敵”を断定。・・【7】

国民投票に勝利するも、政策実現に自信も確信もないためリーダーは運動から逃亡してしまった。・・【8】

というわけで、
見事に全てクリア!

ちなみに“トランプ旋風”を判定すれば8点中7点というところか、何しろまだ政権を取っていないので【8】政策の実現不可能性については判定できない。
ただ他の項目については“英国のEU離脱派”以上に強烈にいわば二重丸◎だが。

   小泉劇場や橋下徹はポピュリズムではない

日本ではかつて小泉劇場や橋下徹が一部からポピュリズムと批判されていたが、この判定表に照らせばどちらもポピュリズムからは程遠い事がわかる。
“敵を設定”したり“ワンフレーズ政策”などは該当するものの、そもそも主要政策といえば“痛みを伴う規制改革”やら“大阪都構想”など一般大衆に不安を抱かせるもので、“現状の大衆の不安を煽る”“大衆迎合策”からは程遠く、政治エリート向けのものだったとさえ言えるものだ。両者ともポピュリズムとは正反対だったことがわかる。

  9条主義のポピュリズム度を判定する

いよいよ本題に入る。“九条主義”のポピュリズム度を測ろうというわけだ。
なおここで言う“九条主義”とは、“憲法九条を中心に据えた世界観、歴史観、政治観、及び。これらを実現させる運動”、のことである

【1】
大衆の不安を煽りその解決策を示す。

“日本はついに戦争ができる国になったぞ。アメリカに付き合って世界中で戦争をはじめるぞ。徴兵制が復活してみんな戦場に駆り出されるぞ。”
と不安を煽り
“憲法九条を守ればそんなことにはならない”
と解決策を示す。

おお、ぴったりだ。◎

【2】政策は簡潔、ワンフレーズ程度で表される

 “9条守れ、戦争するな”

おお、これもぴったり。◎  

【3】政策の根拠にはしばしばウソや非論理的なものが用いられる。

この項は正にこのブログでず~~~っと取り上げてきたもの。あまりに多いので
根本的問題を一つだけあげれば

“9条のおかげで日本は戦争をしないでこられた”、という9条派の代表的主張。

日本から他国に戦争を仕掛けてこなかったことについては、9条のおかげ、という理屈も成り立つ。が他国が日本に戦争を仕掛けてこなかったことについては、他国が“日本の9条”を守っているのだ、などというオカシナ理屈になる。
この点について言及した9条派を私は知らない。

他に一つすぐバレるちゃちなウソを挙げれば
  
コスタリカ・アイスランドなど軍隊に頼らず平和と独立を保っている国は世界にたくさんある 。“・・・こんなウソを触れ回って講演活動をしている大新聞の記者が居るのだからオソレイル。

つまりこの項もピッタリ◎     

【4】個別の具体的政策は場当たり的であり、発言はコロコロ変わる。

そもそも自衛隊の前身である警察予備隊が創設された時、9条派はこれに“日本再軍備化”とレッテルを貼り大反対していた。
PKO法案の時はこれを“海外派兵”とレッテルを貼り大反対した。いつのまにか自衛隊の存在ソノモノは認めたようである。
安保法の時はこれに“戦争法”とレッテルを貼り大反対。海外の平和維持活動に実績をつんできたPKOはいつの間に認めたようである。

これらの解釈改憲を重ねてきた与党自民党は確かに悪い。本来警察予備隊創設時に憲法を改正すべきだった。
がこれらの解釈改憲を9条派は常に追認してきたことがわかる。 

政策や見解が変わるのは良い。が、その時は明確に方針転換を表明すべきだろう。それなしでいつの間にか方針転換するさまは正にポピュリズムの典型である。“場当たり的、コロコロ変わる”の表現がぴったりであろう。

これもピッタリ◎     

【5】検証や議論を回避しがちである


そもそも3や4で指摘した矛盾などはしっかりとした検証、議論をしていればあっという間に解消したはずなのである。それが今だに何の変更もなされていないというのが、正に検証・議論をしてこなかった証である。

ワタクシゴトであるが私もこれまで何人かの9条人と議論をしようとしてきた。(議論をふっかけてきたのは全て相手方である)
が、全て全く議論が成立しないのである。私の主張・反論に、はぐらかす、怒る、立ち去る。
共通しているのは私の主張に“同意はしない、反論もできない、納得もしない”

つまり議論が成立しない。
故にこれもピッタリ◎。     

【6】明確な“敵”を設定しこれを攻撃することで自らの優位性をアピールする。
  
九条派の“敵”といえば今は何と言っても安倍晋三。世の中の悪事、全てアベが悪い。もちろん日本国の最高責任者なのだから国内の問題点をアベのせいにするのはしかたがないのだが、九条派は、外国のテロリストの誘拐殺人までアベのせいにしちゃうんだからスゴイ。
政治外交的には自分たちには対案など何もない。だから参院選の公約も“アベ政治を許さない”だけだ。

というわけでこれもピッタリ◎
     

【7】偏狭な国家主義・民族主義を煽る


九条派といえば“地球市民”とか名乗りそうで、一方、文化的歴史的に日本が優れている分野すらもそうと認めたくなかったりする。よって、“偏狭な国家主義・民族主義”とはもっとも遠いと思われがちだが、そうではない。
日本が“普通の国”になることを彼らがトテモ嫌うことはよく知られている。
つまり“国家の平和と独立を守るためには武力が必要”、とういう全ての普通の国が認識し実践している論理を受け入れようとしない。日本は”武力などというゲスなもの”に頼らなくても平和と独立を維持できるというとんでもない独善的・選民思想にとりつかれているのである。そこで【3】で示したように“他国も日本の憲法を守る”などという妄想に行き着く。もちろんその根拠などない。

おそらく日本が軍事的危機に陥れば“憲法九条”という“神風”が吹いて日本を救ってくれるとでも思っているのだろう。何の事はない、彼らが糾弾する戦時中の一部軍国主義者と同じ感覚である。

根拠なき独善的選民思想 、これは正に“偏狭な国家主義・民族主義”と言うべきであろう。

というわけで、これもピッタリ◎

【8】一方まかり間違って、現実に政権を取るなどの政策実行機会を得ても、実行する政治的力量がないため、政策の実現はほとんど不可能、あるいは腰砕けとなる。

1994年、自社さ政権が誕生し、護憲の旗手社会党の委員長村山富市氏が首相となった。当時ガチガチの護憲派だった私は
“さあ、自衛隊をどのように解体してくれるのだろうか”
と、大いに期待したものである。が、なにも変わらなかった。自衛隊の最高司令官として平然と敬礼する社会党委員長の姿にガクゼンとしたものである。
もちろん与党内少数派であった社会党では全てを自党の方針で進めることなど不可能ではあっただろう。しかし、“9条の精神の実現”に向け、一歩でも二歩でも政策を実現することは出来たはずである。あるいは連立の条件として予め自民党にそれを確約させることも出来たはずである。自衛隊の規模や防衛予算の大幅な縮小、などだ。
しかし、何も変わらなかった。

要するにそういうことなのである。“9条を現実の政策として実現する”等しょせん“絵に描いた餅”であることは内閣総理大臣として政権を握った瞬間に、村山氏は気づいてしまったのだ。自衛隊の解体になど手を付けた瞬間日本の平和と独立など一瞬にして吹き飛んでしまうことを。
それでも英国離脱派のように“逃げださなかった”村山氏は、エライというべきなのか、恥知らずなのか。

民主党政権時代にも触れておこう。今は野党・民進党となって“憲法改悪阻止”の先頭に立っているが、政権党時代、もちろん“憲法9条の具体的政策化”等何も取り組んでいない。
そもそも党内には本来“改憲派”も多数いたはずである。が今は“安倍内閣での憲法改正は許さない”というわけのわからん方針のもと彼らはだんまりを決め込んでいる。
結局与党時代も野党の今も“憲法と安全保障について”何ら党としての方針など存在しないのである。

もちろんまかり間違って、今の野党連合が選挙に勝利して政権を担ったとしても前回民主党政権時代と同様、憲法については何もしない、何も出来ない、のは明確である。

よってこれもぴったり。◎。


おおっ、8項目全てクリア、オマケに全て二重丸◎かあ。これは私もチョット予想外。まあ6~7項目クリアして“これはポピュリズムと言っても差し支えないんじゃないか”ってな結論に持っていくつもりだったのだが。満点でクリアじゃあ文句なしのポピュリズムだよなあ。
それにしてもそれならなんでみんな9条主義をポピュリズムだって言わないんだろう。そういえば他者をポピュリズム呼ばわりするのは政治エリートや社会的エリートだっていってたなあ、私。
ということは9条主義を唯一ポピュリズム呼ばわりする私は、唯一の政治的エリート・社会的エリートってことになるのかあ。
まあ、こと9条に関しては9条派の人達よりは圧倒的にモノを考えていることは確かだが。それをもって“対9条エリート”と自称しておくとするか。

それにしても参院選の結果を見ても日本の一般大衆はこうしたポピュリズムに全く煽られないんだから大したもんだよなあ。都知事選の予測でも鳥越は惨敗しそうだし。

ところでこう書いてくると私って、自民党支持・安倍晋三支持みたいだけどそんなことは全くない。原発政策も子育て支援など福祉政策も経済政策も不満だらけである。
でも安全保障についてはちゃんと“普通の国”を目指しているのでフツウに支持する。私は9条派のように“9条というカミカゼ”が日本を守ってくれるとは信じていないので。

追記

“ポピュリズムは自らを「無辜で純粋な側」と位置づけ、それ以外を「既得権益にまみれた政治エリート」と規定し敵視する”
と指摘する専門家もいる。
この指摘にてらしても“9条守れ運動”は
自らを“平和を愛する無辜で純粋な市民”と位置づけ、他者を
“戦争で儲けようと企む大企業とこれを支える与党政治家”と敵視する姿は、見事に合致することがわかる。

追記2  (2017,7月)
朝日新聞書評欄に『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー著、が紹介されていた。
これによるとポピュリズムの本質的な特徴は“反多元主義”に在り、“自分達だけが「真の人民」を代表していると主張する思想・運動を指す”ものだという。
正に9条派「9条守れ運動」の姿そのまんまである。


九条子: こんにちは。

私: ああ九条子さん、そろそろ来るころだと思ってたんだ。

九条子: えっ、私まだ、9条とか安保法とかについて、結論は出してませんよ。
 

集団的自衛権で日本はアメリカの戦争に巻き込まれるのか ・ 参照)


私: ああ、いやそんなことは急がなくていい。そんなのは、すぐに結論が出せるとは思ってないから。
ただ九条子さんのことだから、きっといろいろ考えて、何かひっかることでも出来たんじゃないかとね。

九条子: そうなんです。あれからウチの親とかと、ここで聞いたこととかいろいろ話したんですけど、もう、ウチの母とかまったく聞く耳持たなくて。言うことがまるであのWさん。まさかWさんのモデルってうちの母じゃないですよね。

  【経済至上主義が戦争を導くのか・超絶九条人Wさんとの対話 】参照

私: ちがうちがう。お宅のお母さんにはあったこともない。お父さんにはムカシあって9条の話とかしたことがあったなあ。最後は首絞められたけど。
                ( 【オマケ】 10年前の私との対話 ・参照)
 
 九条子:えっ?

私: まあいいや。それで?

九条子: で、母も、“九条子をこんなコに育てた憶えは無い。九条子は悪魔にとりつかれた”って、ここに来て悪魔の手下を成敗してやるって。私、必死に止めたんです。

私: はははは。

九条子:  ただ母の言うことでも、2つだけうなづけることがあって、その辺のことを聞こうかと思って、今日は来ました。


一つ目は領土問題。母が言うには、尖閣なんか取られたっていいじゃないかと。
そりゃ取られないほうがいいに決まってるけど、尖閣をめぐって戦争になったりアメリカに恩を売られるくらいなら中国にあげてしまえ、と。それでお隣中国と仲良くなれるんならそのほうがずっといいって。
私もここで話してると、領土取られるって、大変なことだと思って聞いてるんですけど、母の言うことももっともだなって。
母にはムカシから、戦争で一般人や子どもがたくさん殺されていく話とか映像とかいっぱい見せられましたし。あんなこと繰り返してまで尖閣守る意味ってあるんだろうかと。

二つ目はイラク戦争についてです。
“経済至上主義が戦争を抑止する”のなら経済至上主義の権化たるアメリカがなぜイラク戦争なんか始めたんだ、と母が言うわけです。これには私、答えられなくて。経済と戦争の関係については理解してたはずだったのに。

  尖閣を中国に差し出せばば領土問題は解決するのか

 私: おお、いい質問だねえ。ムカシ高橋源一郎って作家が報道ステーションに出て、“領土問題なんてどうでもいい”って豪語してて、私は仰天したんだけど、番組ではスタッフ一同流してて、九条派はあいかわらずそう思ってるんだなあと。
ただこれに対してはマトモな学者や知識人も
“領土とは何か”とか“国家の主権とは何か”とかコムズカシイ話ばかりで一般庶民にはそれこそ“どうでもいい”ことしか話せなかったりするんだ。

九条子: やっぱり一般庶民にも関係あるんですか。領土問題って。

私: 大いに関係あるさ。
たとえば一般庶民がやくざモンに言いがかり付けられて金を要求されたとしよう。まあされる側にも多少やましいところがあったとする。たとえば5万円。これだけ出せばおとなしく手を引く、と。
で警察方面の“暴力団追放”とかの指導では必ず言うわけだ。ここで金を出しては絶対にいけない、と。一回出せば必ず2回目3回目があり、永久に金を要求され続けるぞ、と。何しろ一回金を出したってことは、こちらの非を認めたことになるからね。

九条子: はい、それは聞いたことあります。

私: で、尖閣だ。私だって尖閣差し出せば中国との問題がホントに全て解決するなら安いもんだって思うよ。私個人は一部の主権とか領土なんかどうでもいいんだ。もちろん原理原則から言ったらどうでも良くはないけどね。
でもさっきの対やくざモンの話と同じで、一回一部の領土でも差し出したら、相手の言い分を認めこちらの非を認めたことになる。
そうなれば尖閣だけ、一回の話で済むわけがない
そもそも中国の言い分といえば、千数百年前は東シナ海も南シナ海も中国の支配下にあった。だから今も中国の領土だってわけだ。

九条子: それは、本当なんですか。

私: まあ、本当だとも言える。だって昔はアジア全域ほぼ中国の支配下にあったともいえるわけだから。日本だって聖徳太子以前は中国の属国だった。

九条子: ああ、卑弥呼の“親魏倭王”とか、志賀の島の金印の“漢委奴国王”ですね。中国にとって“王”は独立国の王ではなく、属国の王の意味だった、と。世界を支配しているのは中国の“皇帝”だけである、と。で、さらに、琉球にいたっては明治初期まで中国・日本双方に属していた。

私: おお、詳しいね。

九条子: 文学部歴史学科ですから。

私: また設定変更か。まあいいや。
 だから尖閣ひとつ渡すということはそういう数百年も千数百年もさかのぼった支配を現代に適用することを認めることになる。
で、さっきのやくざモンの話だ。尖閣の次は石垣島だ次は沖縄だ、と永久に要求は続く。決して日中間の問題が収まることにはならない。むしろ問題の拡大につながる。

   日本が中国に支配されても庶民の暮らしは変わらないのか

九条子: あのですね。

私: はいっ?

九条子: ウチの母なんか、戦争するくらいなら、中国の支配だろうが粛々と受け入れる、と、こう言うわけですよ。私はさすがにそれはないだろうとは思うんだけど、どこがどう間違っているかはどうも説明できなくて。

私: お母さんは自衛隊も認めない派、だよね。

九条子: はい。

私: はははは、いいなあ。

九条子: なに喜んでるんですか。

私: いや最近はね、学者の中にも、自衛隊は認める、海外派遣は認める、在日米軍も認める、NATOの空爆も認める、でも九条は変えるべきじゃない、とか言うワケの分からんのも増えてるから、九条子さんのお母さんみたいに古典的伝統的九条派に会うと、いっそ気持ちがいいや、と、思ってね。

九条子: 完全にバカにしてるでしょ。まあいいや。で、中国に支配されてもいいってやっぱり変ですよね。

私: 尖閣とかは、ちょっと油断するとあっという間に占拠される恐れはあるけど、自衛隊と在日米軍が現在の状態で居る限り、日本本土が占領、支配されるなんてそんなことはまあ絶対にない。だから基本的に戦争の心配もない。
ただ尖閣を差し出してしまえば、次の要求があることは確実で、沖縄や本土が取られなくても、それをネタに他の要求を有利に進めようってわけだ。
まあ、それはそれとして。

外国に支配されてもいいだなんて危険思想はちゃんと反論しておかないと教育上よろしくないのでしっかり説明しておこう。
何しろ近頃は選挙権18歳引き下げに伴って、若者の政治参加が変に奨励されだしている。、もちろんそのこと自体は大変いいのだけれど、“政治参加”イコール“平和運動”イコール“9条を守る運動”みたいなおかしな風潮が一部メデイアにあるからね。ここはしっかり反論しておかないとこれ以上“九条クン”や“九条チャン”が増えると日本はさらにオカシナことになってしまう。

九条子: やっぱり私のことバカにしてるんだ。名前もヒドイ名前だって。

私:  あ、いや、ごめん、九条子さんは立派なもんだって。
日本が中国に占領されたらどうなるか、だったね。
まあ、いきなり日本が中国本土並みの支配下に置かれるとは考えにくいわな。ここで参考になるのが香港だ。資本主義・自由主義の英国から中国に返還されて、中国は“一国二制度”を掲げ、香港には一定の自治と一定の表現の自由も認めている。一般香港市民の暮らしも返還前とそうは変わらないようにも見える。

九条子: じゃあ日本も中国に支配されてもそう悪くはないってことですか。少なくともそれで戦争が避けられるなら、いいじゃないですか。

私: ただ香港市民には選挙権がない。いや、あることはあるんだが、中国共産党が認めた候補しか立候補できない。

九条子: え、なにそれ。それじゃ選挙とはいえない。

私: 例えその規制をかいくぐって立候補して当選しても、初議会において“一つの中国を認める宣誓”をしないと議席剥奪。

九条子: え!

私: 表現にの自由にしろ、確かに中国本土に比べればはるかにマシなのは確かなようだ。ただ先日中国共産党に批判的な本を置いている銅鑼湾書店って本屋の店長と関係者5人が、突然行方不明になった。結論から言えば、やはり中国当局に拘束されていたんだけど、逮捕状も無く、家族にも連絡はなく、もちろん面会もできなかった。その後、彼らが容疑を全面的に認めたとされる映像が公開され、4人が解放された。店長は解放されてから、“自供映像”は脅迫され台本通りに言わされたことを香港での会見で述べている。他の人は沈黙を守り、一人はまだ解放もされていない。おそらく“自供映像”に協力することも拒んでいるのだろう。
中国の支配を受け入れるとはこういうことなんだ。
日本がこういう国になるのも、戦争を避けるためなら受け入れるかい?

九条子: そ、それはちょっと。

  天安門事件から学ぶべきこと

私: さらに。
天安門事件は知ってるかな。

九条子: ああ、あの戦車の行く手を一市民が止めたやつですよね。非暴力の力ってすごいですよね。国家権力の武力弾圧にも勝てるってことを世界に示しましたよね。

私: 確かにあの映像はそういう間違ったメッセージを届けてしまっているね。

九条子: 間違ってる?

私: 確かにあの映像は天安門事件の日に天安門広場で起こった一場面なのだろう。外国メデイアが世界にそれを発信した。でもホントの天安門事件は天安門広場の外で起こった。
自由化を求め、天安門広場に向かう市民を、中国当局が無差別発砲で虐殺したんだ。もちろん外国メデイアなど一人もいない現場だ。中国本土内ではこの事件そのものに触れることさえ禁じられている。ネットに投稿しても直ちに削除される。
ただ国際社会相手には“三百人ほどの死者があった”ことは認めている。実際には三千人を超える市民が殺されたとも言われている(数万人説もある)。ただここで問題にしたいのは数、では無い。中国当局が今もこの“虐殺”を“正当な治安活動”だとしていることだ。“正当”だということは、今後も市民が同じような動きを見せれば同じことを繰り返す、という宣言であるといえる。
これは中国本土はもちろん、香港で、でも、当局が必要と認めれば同じことを繰り返す、という宣言だ。そして“占領された日本”でも。何しろ主権を持っているのは“国民”では無く“中国共産党”なのだから。
ちなみに、市民に向け発砲した組織の名は“人民解放軍”!
まあ、中国占領下の日本の国会前で、“習近平政治は許さない”とかいって、数万人でも集まったら無差別発砲だわな。

九条子: わわわ、わかりりました。カンタンに“中国の支配下に入ればいい”なんていうのは大ばか者です。

私: それだけじゃない。中国の支配下に入るということは、そのとき当然,,
在日米軍など日本には無いという前提なのだろう。そうすると今度は日本中に在日中国軍が配備されるのは確実だ。中国の対米戦略を考えれば日本列島は形状的にも位置的にも、中国本土を守る恰好のフェンスだ。全ての基地には核が配備され、日本は対米戦略の最前線となる。まあ欲求不満の中国兵の犯罪も後をたたないだろうなあ。

九条子: ひえーっ!

私: それで基地反対集会でも開けば、

九条子: 無差別発砲!ひえーっ!ひえっーっ!
どうしてそんなことも考えずに“中国の支配下に入ってもいい”とか言っちゃったんだろう。ちょっと考えればわかりそうなもんなのに。

  リベラルこそ領土問題にこだわるべきじゃないか


私: そのとおり。あなた達九条主義者は、領土問題とかにこだわる人を見るとスグに“右翼”だの“国家主義”だの決めつけるけど、領土問題を疎かにすれば、あなた達の大好きな“自由”も“民主主義”も“平和国家”も“人権”も全て吹き飛んでしまうことが中国・香港から見えてくるだろう?
そういう意味じゃあなた達、リベラルを自認する人達こそ領土問題にこだわるべきじゃないかと思うんだけどね。どんなに素敵なリベラル社会を築いたって領土と国家主権を守れなければそんな社会いつだってぶち壊されてしまうんだから。

九条子: ・・・はい。

私: 私なんかリベラルだからこそ領土問題にこだわるし、そのための脱9条にもこだわるんだ。
ところがそこらの自称リベラル九条派といえば、そういう現実世界は見ずに“おとぎの国”の視点でものを見て妄想をかき立てている。
私が今言ったこと、今まで言ってきたこと、書いてきた事なんてみーんなそこらの新聞やテレビニュースでわかることばっかりだ。学者でもジャーナリストでも無くても“ちょっとかんがえれば解る”ことなんだ。

ただもちろん私も妄想など語りたくないから断っておくけど、いま、このスマホ時代、すべての人がどこでもメデイアになれる時代に、天安門事件と同じことが起こるとは思わない。ただそれは中国共産党の本質が変わったことでは全くないことだけは確認しておかないとね。形を変えてより巧妙に天安門事件は繰り返される。

で、次は“経済至上主義のアメリカがなぜイラク戦争なんか始めたのか”だね。
じゃあそれは次回ということで。