2016.9月
米国の反対を押し切り実現する“プーチン訪日”
プーチン大統領の訪日が発表された。平和友好条約の締結、更には領土問題にまで踏み込んだ会談がなされる予定であるという。
プーチンのロシアといえばウクライナ問題でG8からは閉めだされ、欧米各国からは今も経済制裁を受けている。そんな中、日ロ首脳会談については欧米各国、特に米国から強い反対が出され、オバマ大統領は電話で直接その旨安倍首相に強く伝えたという。それでも譲らない安倍首相に対しオバマは最後に“シンゾーの気持ちは分かった”と強く言い放ち電話を切っとも伝えられている。
私の知る限り、戦後日本の外交で、ここまでアメリカの反対を押仕切って独自路線を貫いた例はなかった。
9条派 “安保法によって米国追従は更に進む”
私 “安保法によって自主外交が可能になる”
9条派の人達によれば、日本は外交において、今までずっと米国追従だったが、安保法・集団的自衛権容認によって今まで以上に米国追従は進み、アメリカの要求で地球の裏側まで行ってアメリカの戦争に従うようになるってハナシだった。
それどころか、そもそも安保法・集団的自衛権そのものが日本の米国追従を更に進めるため、アメリカが日本に成立させたモノであるって話だった。
私はこれまでそんなリクツは論理的にオカシイと言い続けてきた。
安保法によって日本が自力で自国を守れるようになる事で、そして集団的自衛権行使容認によって、アメリカと対等な関係になることによって、これまでのような米国追従から脱し、主体的外交を展開できるようになるのだと。イラク戦争時のフランス・カナダ・ドイツのように大義なき戦争においては、アメリカに真っ向反対を主張する事もできるようになるのだ、と。
(集団的自衛権で日本はアメリカの戦争に更に巻き込まれるのか
・参照)
“安全保障の米国依存”と“外交の米国追従”はセットなのである。外交の米国追従を改めるにはこのセットを解体し安全保障の米国依存を改めるしかない。
今回の日ロ首脳会談の実現は、こうした私の分析と“予言”が正に実証されたと言える。
もちろんこのことは“安保法と集団的自衛権でさらに米国追従が進む”などという9条派の主張が現実無視の妄想に過ぎないことが改めて証明されたとも言える。
脱・米国追従外交は脱9条から始まるのである。
健全な社会の維持に法律は不可欠である。
しかし、こんなオカシナ法律ならない方がマシと言う場合もある。
こんな刑法は嫌だ。
“平和を愛する国民及び在日外国人の、公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
国権の発動たる警察力の行使は、犯罪を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、警察権力は、これを保持しない。 国の逮捕権は、これを認めない。”
犯罪を取り締まるための刑法が、犯罪がないことを前提に法文化されている。
いわば“犯罪を取り締まるよりも犯罪がなくなればいいのだ”と言っているだけなのである。
完全な責任放棄であり、論理矛盾であり、もちろん役立たずである。
こんな刑法は嫌だ。
こんな原子力規制法は嫌だ。
“原発を愛する電力会社及びメーカーの公正と信義と技術に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。
無知なる大衆の脱原発運動は、これを認めない。”
原発の危険性を規制するための法律が、危険性などない事を前提に法文化されている。
こんな原子力規制法は嫌だ。
こんな虐待防止法は嫌だ。
“子供を愛する保護者の公正と信義に信頼して児童の安全と生存を保持しようと決意した。
他人による虐待の通報はこれを認めない。児童相談所はこれを廃止する。”
こんな虐待防止法は嫌だ。
こんな労働基準法は嫌だ。
被雇用者を愛する雇用者の公正と信義に信頼して、被雇用者の権利と生存を保持しようと決意した。
労働者の内部告発及び“ブラック企業”などの呼称はこれを認めない。労働基準監督署はこれを廃止する。”
こんな労働基準法は嫌だ。
こんなオレオレ詐欺防止法は嫌だ。
“高齢者を愛する詐欺師集団の公正と信義に信頼して、高齢者の財産と安全を保持しようと決意した。
ATM前での高齢者への声掛けはこれを認めない。”
こんなオレオレ詐欺防止法は嫌だ。
こんなストーカー防止法は嫌だ。
“片思いの相手を愛する変質者の公正と信義に信頼して、付きまとわれ対象者の生存と安全を保持しようと決意した。
繰り返されるつきまとい、メール、電話、手紙、SNS上の発言などを拒否する権利はこれを認めない。
ストーカー相談所はこれを廃止する。”
こんなストーカー規制法は嫌だ。
こんな廃棄物処理法は嫌だ
“地球に優しい処理業者の公正と信義に信頼して環境の維持と安全を保持しようと決意した。
廃棄物の規制はこれを認めない。”
こんな廃棄物処理法は嫌だ。
憲法のこんな安全保障規定は嫌だ
“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。”
他国の攻撃から自国を守るための安全保障規定が、他国が自国を攻撃しないことを前提に法文化されている。いわば“戦争を仕掛けられないためには戦争がなくなればいいのだ”と言っているだけなのである。完全な責任放棄であり論理矛盾であり、もちろん役立たずである。
憲法のこんな安全保障規定は嫌だ。
しかし、こんなオカシナ法律ならない方がマシと言う場合もある。
こんな刑法は嫌だ。
“平和を愛する国民及び在日外国人の、公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
国権の発動たる警察力の行使は、犯罪を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、警察権力は、これを保持しない。 国の逮捕権は、これを認めない。”
犯罪を取り締まるための刑法が、犯罪がないことを前提に法文化されている。
いわば“犯罪を取り締まるよりも犯罪がなくなればいいのだ”と言っているだけなのである。
完全な責任放棄であり、論理矛盾であり、もちろん役立たずである。
こんな刑法は嫌だ。
こんな原子力規制法は嫌だ。
“原発を愛する電力会社及びメーカーの公正と信義と技術に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。
無知なる大衆の脱原発運動は、これを認めない。”
原発の危険性を規制するための法律が、危険性などない事を前提に法文化されている。
こんな原子力規制法は嫌だ。
こんな虐待防止法は嫌だ。
“子供を愛する保護者の公正と信義に信頼して児童の安全と生存を保持しようと決意した。
他人による虐待の通報はこれを認めない。児童相談所はこれを廃止する。”
こんな虐待防止法は嫌だ。
こんな労働基準法は嫌だ。
被雇用者を愛する雇用者の公正と信義に信頼して、被雇用者の権利と生存を保持しようと決意した。
労働者の内部告発及び“ブラック企業”などの呼称はこれを認めない。労働基準監督署はこれを廃止する。”
こんな労働基準法は嫌だ。
こんなオレオレ詐欺防止法は嫌だ。
“高齢者を愛する詐欺師集団の公正と信義に信頼して、高齢者の財産と安全を保持しようと決意した。
ATM前での高齢者への声掛けはこれを認めない。”
こんなオレオレ詐欺防止法は嫌だ。
こんなストーカー防止法は嫌だ。
“片思いの相手を愛する変質者の公正と信義に信頼して、付きまとわれ対象者の生存と安全を保持しようと決意した。
繰り返されるつきまとい、メール、電話、手紙、SNS上の発言などを拒否する権利はこれを認めない。
ストーカー相談所はこれを廃止する。”
こんなストーカー規制法は嫌だ。
こんな廃棄物処理法は嫌だ
“地球に優しい処理業者の公正と信義に信頼して環境の維持と安全を保持しようと決意した。
廃棄物の規制はこれを認めない。”
こんな廃棄物処理法は嫌だ。
憲法のこんな安全保障規定は嫌だ
“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。”
他国の攻撃から自国を守るための安全保障規定が、他国が自国を攻撃しないことを前提に法文化されている。いわば“戦争を仕掛けられないためには戦争がなくなればいいのだ”と言っているだけなのである。完全な責任放棄であり論理矛盾であり、もちろん役立たずである。
憲法のこんな安全保障規定は嫌だ。
“平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した。・・・”
言わずと知れた日本国憲法前文です。これは平たく言ってしまえば以下のようになります。
“日本の平和と独立を守るには他国を信じることです。”!?!?!
つまり他国を信じれば攻撃も受けない、戦争にもならないというわけ。
つまり前回の“こんな○○法は嫌だ ”で指摘したように、日本国憲法における、日本の安全保障についての規定である前文と9条は“政治信条・国家哲学”以前に、どう見ても、法として無責任であり、論理的に破綻していて、もちろん役立たずです。
法律の起草は普通とても厳格なのだ
どんな法律であれ、これを一本起草するとなれば、様々な検証がなされます。
そもそもその法律が必要なのか、から始まり、その必要性を反映した法文になっているか、他の法律との整合性はとれているか、恣意的運用はされないか、逆に抜け道の多いザル法になっていないか、などの検証です。
そしてもちろん、文章として論理破綻していないか、日本語としておかしくないか、誤字脱字はないか、なども基本的大前提です。
ところが前述したように日本国憲法の、特に前文と9条はこの“法の起草”の基本が完全に無視されています。
何しろ“他国の攻撃からいかに自国を守るか”の規定が“他国は攻撃などしません”でオワリにしちゃってるんですから。法としてデタラメもいいところです。
ではナゼそのようなデタラメな憲法が存在しているのでしょうか。
日本は70年前“米国領の一地域”だった
それは日本国憲法がそもそも“独立国の憲法”として作られたものではないからです。
日本国憲法発布が1946年。言うまでもなく敗戦直後のこの頃、日本は米国の占領下にあり、当然“主権”は米国政府にあります。そういういわば“米国領の一地域”に“自国を守る規定”などないのは当然であると言えます。なぜなら“米国領の一地域”を守る義務と権利を有するのは“米国政府”に他ならないからです。
つまり当時の日本には“自国を守る権利も義務も”なかった。故に自国を守る規定を“憲法”に記す権利も義務も必要性もなかったということです。
(現在でも“米国領の一地域”であるグアムや北マリアナ諸島(サイパン島は日本にもお馴染み)・プエルトリコなどはこの頃の日本と同様の状況にあります。自国・地域を守る権利も義務も米国政府にある)
一方で第二次大戦を経て、世界はもはや植民地を持つ時代ではなくなっていました。まして日本のような“大国”を植民地化するなどありえない時代になっていた。
ただいずれ日本の独立を認めるにしろ、米国にとって“日本を戦争に導いた大日本帝国憲法”は破棄させ新しい“民主的な憲法”を与えておかねばならない。ただ現状において“米国領の一地域”である以上、“自国を守る規定・軍事力の規定”など必要がない。
しかしそこに“米国領であるゆえ安全保障は米国が負担する”と明記してしまうといずれ独立国となる国家の憲法としてはカッコがつかない。それなりのカッコはつけなければいけない。
そうした状況、独立国ではなく米国領の一地域、のいわば”なんちゃって憲法”であることを認識した上で改めて日本国憲法の前文と9条を見てみます。
前文“平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した。・・・”
9条“国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
こうした認識に立った上で見れば、9条派にとっては“世界に誇る平和主義の条文”も、あるいは改憲派にとっては“矛盾に満ちた屈辱の条文”も、“米国領の一地域”である日本に合法的に武装解除させるための一時しのぎの憲法もどき、として、まあ当然というか“よく出来た”規定であることがよく解ります。そもそも他国に攻められた時の規定やその対処の規定がないのも当然でしょう。これはあくまで“独立前の間に合わせ”憲法なのですから。日本語としてなんかオカシイのもうなずけるというものです。(“公正と信義に信頼して”ってなんだ。普通の日本語なら“公正さと信義を信頼して”か“公正さと正義に信頼を寄せて”とかだろう)こうした状況下であることを理解すればこれはこれで何の問題も無かったとは言えるわけです。
改めて言えば“米国領の一地域”の“一時しのぎの憲法もどき”として。
“独立国の憲法”はなぜ制定できなかったのか
それから5年。サンフランシスコ講和条約を経て日本は“米国領の一地域”から一独立国としての一歩を踏み出します。
当然憲法もこの時“独立国の真の憲法”を独自に制定するはずだった。
しかしここで、後から振り返れば日本にとって不幸な、“日米間の思惑の一致”が生じてしまう。
米国から見れば、やはりまだ日本に“再軍備”させたくなかった。明治維新を経てあっという間に、欧米以外で唯一近代化を果たし、植民地を持ち、そして世界に向けて戦争を仕掛けた“キケンな日本”を、まだ野放しにはしたくなかった。また一方で冷戦の始まりとともに東アジアに引き続き基地・軍事力を保持しておきたかった。
一方日本としても、戦後の荒れ果てた国土を抱え、本来軍事費に回す経費を経済再生やインフラ整備、国民生活再建の戦後復興に回したかった。
こうした日米両国の思惑の一致が“サンフランシスコ講和条約”と“日米安全保障条約”の同時調印へとつながります。
正に“日本の独立”と“日米安保条約”がセットとして成立した瞬間です。
で、こうした綱渡り的ドタバタ独立のドサクサに紛れてあの“憲法もどき”がそのまま継承されてしまった。
何しろ独立国の安全保障を他国が担うという“そもそも矛盾した状態”を作るわけですから、“憲法9条”と“日米安保条約”をセットとして成立させるしか無かったと言えます。
先ほど私はつい“日本にとって不幸な”と書きました。確かに“真の日本の独立”という観点に建てば“不幸な”ものではあった。しかし経済的側面からのみ見れば、この“セット”は必ずしも“日本にとって不幸”だとは言い切れないものではあります。世界を驚かせた“日本の奇跡的経済成長”はこの“セット”無しでは成し得なかったかも知れないからです。
これまで多くの新興独立国が税収の多くを軍事費に費やしてなかなか経済成長を遂げられていないのはよく知られています。(まず独立を維持しなければ経済成長も国民生活もへったくれもないのだからやむをえないのです。)
そういう意味で“独立”と“日米安保”のセットという高度な政治判断を評価すべきだという考えも決して間違ってはいない。
(日本の独立宣言ともいうべきサンフランシスコ講和条約が派手な調印式をもっておこなわれた一方で、日米安保条約の調印は同じ日、別の場所で吉田首相の全責任をもって一人で行われたという。当時は国民にも知らされず。それ程に“高度な政治判断”だったということだ)
そういう意味で、いわゆる保守派の“現憲法は米国の押し付けだ”論にはムリがあります。“米国領の一地域”だった時代に“押し付けられた”憲法など、日本がその当時独立国でなかった以上所詮“憲法もどき”に過ぎず、独立時にこれを破棄し、“真”憲法を制定しなかったのは(吉田首相のほぼ独断とはいえ)独立国日本の意思だったのですから。
“現世利益的間に合わせ憲法”が“人類理想の平和憲法”になってしまった。
それかともかく。
問題はこうした現世利益的“高度な政治判断”のもと、日本側の意思で維持された憲法9条を“一部の学者・メデイア、そして庶民たちが、“日本と世界を恒久平和に導く理想の条文”とカン違いしてこれまで祭り上げて来てしまったことなのでしょう。
プエルトリコや北マリアナ諸島など“米国領の一地域”には独立国とは異なる独特の制度があります。基地は提供し米大統領への選挙権はないが所得税はかからない、とか。
しかしこれをもって、“所得税などというゲスな制度のない自由な楽園”などと表現するのはお門違いというものでしょう。
これは日本で米国占領下の名残として軍事力の放棄を謳った憲法をして、“軍隊などというゲスな組織に頼らず平和を維持している理想の国家”などと表現するお門違いと正に相似形です。
また前回、“こんな○○法は嫌だ ”で書いた、刑法へのパロディで言えば、あんな警察も逮捕権もない刑法で治安の維持などできようはずはありません。
ただ世界でも敗戦後や内戦終結後の一時期、自国の警察は無くても国連PKO の治安維持部隊がいたり、治安民兵が警察の代用をすることはあります。
ただその状態をもって
“我が国は警察などという暴力組織から開放された真に自由で平和な国なのだ”
などと胸を張られたらこれはやはり相当困ったもんです。
言うまでもなく現日本国憲法、特に9条を支持している人達は、正にこの“相当困ったもん”状態なわけです。“自国を守るには他国を信じれば良い”というわけのわからん“前文と9条”に取り憑かれてどうしてもこれを手放せない。
日本が70年間“生存と安全を維持”出来たのは自衛隊と(その賛否は両論あるにしろ)在日米軍のおかげなのに、これを9条のおかげと信じて疑わない。他国が9条に従っているというオカシナ理屈を信じて疑わない。
そのオカシナ信仰から目覚めてもらうためにこの項の主題をもう一度繰り返したいと思います。
日本国憲法は、日本が“米国の一地域”だった時代、米国に主権が在り、当然安全保障の責任も米国にあった、その状態に辻褄を合わせて作られた一時しのぎの“なんちゃって憲法”であり、そもそも独立国の憲法ではないのです。
だから安全保障の規定はそもそも無責任で論理矛盾があり、役立たずなのです。