脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座 -3ページ目

脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座

かつてガチガチの9条平和主義者だった私がその大矛盾に気づいてしまいました。
様々なテーマでリベラルの視点から、具体的・論理的に脱9条論を展開します。

   Tさんのコメントに対する私の常識と非常識

 

 前回の記事ではテーマからはずれた問題でワキ道にそれてしまった。

 改めて本題を追求する。

 “9条改正は時期尚早か”である。

 Tさんの初めのコメントを改めて紹介する。

 

靖国神社に、戦争の方へ国民を指導し戦争を推進し、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」を非武装のシヴィリアンにまで拡大して犠牲を増やした政治家と、その指導・指令のもとで命を失った犠牲者と両方が神として祭られていることに、犠牲者の遺族は批判も抗議もしない。

 

戦争に関して聞かれれば「戦争は2度としてはいけない:してほしくない」というが、選挙には、実態の危なっかしい安保法制を強行成立させたり日米行政協定の改定も考慮しない自公維勢力を絶対多数派にさせる人が国民にかなり多くいる
 かつての戦争の総括を、東京裁判の裁きで済ませてしまって自力で行なおうとはしないままで、上のような投票行動をする
 こういう現状で、9条撤廃をしたらその先はどうなるとお考えでしょうか。

 

 この文を読んで私は“護憲派からの批判”だと勝手に思い込んでしまい、Tさんには大変失礼な返信をしてしまった。“どうなるとお考えでしょうか”という質問を、勝手にに“大変なことになるぞ、判ってるのか”という批判と読んでしまったのである。

 確かに“自分は護憲だ”などとどこにも書いていない。ただ言い訳すれば従来の“護憲・改憲”の常識に照らして私の“誤読”もそう非常識なものではないとは思う。語調・趣旨・文脈として、これは従来の“護憲”のものである、と。

 この点が今回のテーマとなる。

 

    Tさん:“私は自衛隊容認の立場で、現9条は改訂を要する” 

 

 2回めのTさんのコメントもあらためて紹介する。

 私は(中略)、自衛隊容認の立場で、 したがって自衛について明らかにしていない現9条は改訂を要するという考えです。そのう えで、この国の現状では9条改定を提起する状況がまだ整っていないのではないかと思うので、今提起したらどうなると考えているのかを尋ねて、改憲提起の時 期を私なりに考えたいと思ったものであり、(後略)

 

 私は驚いたのである。一回目のあのコメントが“ 現9条は改訂を要する ”と考える方によって書かれたのか、と。しかも前回の“ワキ道にそれた問題”でも触れたようにTさんは自らのブログで護憲のGさんやDさんの記事を度々リブログ紹介するなど、人脈上も明らかに“護憲”である。

 そういう方が“ 現9条は改訂を要する ”と主張している。

 

   護憲派Gさん・Dさんのコメントも同様に・・・・

 

 そこで改めて、“護憲”を明確に主張するGさんの、最近のコメントを見てみる。

 

(前略・ここでGさんが見る現在の政治状況が書かれた上で、)

そういう時期に改憲はいけません。

 

 これは明らかに上記Tさんと同様のスタンスである。“現在の政治状況からは改憲はいけないが・・・・”(状況さえよくなれば改憲すべし、あるいは容認)と読むのが日本語的に正しい。

 

 またGさんは“護憲の論客”としてDさんを紹介してきた。以下はDさんのFBで述べられた私のブログへのコメントだそうである。

 

「(前略)あなたのごりっぱなご意見が国会の大勢になることはありますか?改憲に同意したら最後、自民党憲法として押し切られます(後略)」

 

 そもそも私の“脱9条論”は基本的に、“意見”と言うより“状況分析”である。状況分析に “国会の大勢になるかどうか”など関係ない。国会議員の大勢が私と同じ状況分析をするかどうかが問題では無いのだ。国内状況・国際状況が、“脱9条”こそ、日本の民主主義、日本とと世界の平和・安定のため、より良い方向を示している、という論理的状況分析の話をしているだけである。

(これについてはまた改めて論じる。)

 

 それより注目すべきは“論客”Dさんも、懸念しているのは“現在の政治情勢”であることだ。

私の脱9条論について、論理的意味や合理性などは脇においている、と言うよりは“あなたの立派なご意見は”と、私の意見そのものには反論もしていないようなのである。もちろん本人の意思としては揶揄・冷笑の意味合いでの表現ではある。が、言葉の内容としては “論理的にはあなたの意見はスジが通っていますがね、しかし・・”と解釈できる。日本語として。

 

 Tさん、Gさん、Dさん三人の最近のコメントを並べてみた。Tさんはもちろん “9条改定は必要、だが9条改定を提起する状況がまだ整っていない つまり時期尚早”と明言している。しかし“護憲”を強調する、GさんもDさんもこの点について趣旨はほぼ一致していると言って差し支えない。

 

    民進党も同様に・・・・

 

 この3人は前述したようにネット上でかなり親しい関係であるようだ。ではこの傾向はこの3人周辺だけのものなのだろうか。

 だが野党第一党・民進党の対9条スタンスも “現行内閣での改憲は認めない”、つまり“状況さえ整えば改憲は認める”ということだ。。ここでも対9条の趣旨が上記3人と一致する。

 (もちろん民進党の場合、党内の護憲派の声と改憲派の声を“足して2で割った”だけのスローガンではある。だがその成立の事情がどうであれ、Tさんの意見“9条改正は必要、しかし時期尚早”で一致点を見ていることは注目に値する。

 

  護憲派の中で、“9条改正は必要、しかし時期尚早”派が広まっているのではないか

 

 もちろんGさんDさんの場合、本人の自覚意志が“改憲容認”となっているとは私も思わない。本人たちは大否定するだろう。しかし自身の自覚意志とは離れたところで本人の無自覚意思が表明されたと、少なくとも日本語として読み取ることができる。

 もはや論理的に“9条を擁護する”ことなど不可能になってきているのだ。少なくともマジメに9条や世界情勢や平和について考える人にとっては。

 

 前回もすこし触れたが、私自身、護憲派から脱9条に移行する過程でこういう時期があった。たしか第一次安倍政権の頃(2006年)だったと思う。

“もはや9条改正が理にかなっていることは認めざるを得ない。しかしこの安倍政権下で憲法改正などしたら、大変なことになる。政権が暴走する。だから今はダメ”と。

 

 護憲派の中で“9条改正は必要。しかし時期尚早”派がジワリと広がっているのではないか。

 しかも本人たちも自覚しないまま。

 

   かつては“非武装中立”だった“護憲”がいつの間に“自衛隊容認”に・・・

 

 振り返れば“護憲派”の歴史は決して一貫したものではなかった。

 かつては護憲といえば“非武装中立”つまり自衛隊の存在も認めない、とする立場しかなかった。少なくとも自衛隊(設立時は警察予備隊)創設から数十年は“非武装中立”こそ護憲の理念であった。もちろん“自衛隊は違憲”、の立場である。

 ところがザッと十数年ぐらい前からだろうか、護憲派の中で自衛隊容認派が出現し始める。この時点で改憲派に明確に鞍替えすれば何の問題も無かったのだが、彼らはあくまで“護憲”であり続けた。そこで生まれた“自衛隊合憲論”

 いや、正確に言えば“自衛隊合憲論”という“解釈改憲”は与党自民党の理論であった。当然“非武装中立護憲派”はこれを痛烈に批判してきた。が“いつの間に多くの”護憲派は、この自らが批判してきた“解釈改憲・自衛隊合憲論”に鞍替えした。

 “専守防衛”という言葉も同様である。かつて与党が“自衛隊合憲論”の“言い訳”として編み出したこの言葉を現在では護憲派こそが最も頻繁に使う。

 “自衛隊違憲”と“自衛隊合憲”、言い換えれば“自衛隊は不要”と“自衛隊は必要”、この180度反する理念に何の断りもなく、“寝返った”のである。自己に対しても他者に対しても一言の“転向宣言”もなく。

 おそらくは本人もそんな自覚はない。私はこれを“新護憲派”とよんでいる。

 

(一例。田嶋陽子氏は5~6年前には“自衛隊は武装解除して災害救助隊に改編すべし”等と言っていた。が数年前にテレビ番組でいきなり“中国に攻められたら自衛隊に頑張ってもらって”とか発言。本人何の違和感もないようだった。周り中ひっくり返っていたが。)

 

 ほとんどのリベラル系メデイアもこれに同調した。もちろん転向宣言もなかった。

 “護憲・自衛隊容認”派の確立である。

 

 新護憲派はその後急速に勢力を広げ、今や護憲派の大多数を占めていると見られる。

 

    “9条改正は必要”と認める“新・新護憲派”の登場

 

 話は戻って、護憲派の中の“9条改正は必要、しかし時期尚早”派、である。

 今後この派が急速に勢力を拡大していくというのが私の見立てである。いやもう大勢を占めているのかもしれない。新護憲派誕生時と同様、本人たちの自覚がないままに。転向宣言も無く。

 これは護憲の大転換である。もちろん私はこれを嘆いているのではない。大歓迎である。

この“新・新護憲派”ともいうべき主張は以下の様なものとなる。すなわち

“我々は護憲派であるが9条改正の必要性は認識している。ただし現在は時期尚早である”

 もうわけわからんのだが、新9条派の誕生時だって“自衛隊を認める護憲派”なんて相当ワケのわからんものだった。しかし現在はこれが“護憲”の主流である。しかも“自衛隊を認めない元祖護憲派”と“自衛隊を認める新護憲派”は“9条の会”とかで仲良く共同歩調をとっていたりするのである。ハタから見れば自衛隊を認めるか否かは安全保障政策として正反対の立場のはずなのだが、“護憲”を自称しさえすればみんな仲間なのだろう。

 

 そういう意味で、今後は“9条改正も認める護憲派”とも従来の護憲派は共同歩調をとることが予想される。“護憲”という二文字を自称する、という共通点だけで。

 もちろん私はそういうワケのわからん状態など望んでいない。いや“改憲容認”が増えるのは大歓迎である。しかしその時は“護憲派”になどとどまらずに“脱9条”派を宣言してもらいたいものである。

 

  追記

 

 このブログでは事あるごとに“批判・反論大歓迎”としてきた。が、今回に限っては批判反論は遠慮いただく。特に名指しで“改憲容認護憲派”呼ばわりされた方からは“自分らはそんなのじゃない”との“大否定”が来るのは必然だからである。更には本人たちが“大否定する”事まで言及している以上、彼らにとっては今回の趣旨を肯定すれば私の見立てが正解となり、大否定しても私が正解になるという大矛盾に陥ってしまうのだ。

 そういう訳で今回の記事は私の主張とか分析とかではなく、“現状の見立て”という位置づけとしたい。私としては“当たっている”つもりなのだが、近未来の予測も含まれている以上、ハッキリ言って通常の記事のような“論証”は不可能なのである。反論されても水掛け論にしかならない。(もちろんそれ以外のコメントは従来通り歓迎です)

 ただ、“見立て”としての責任は持ちたい。今後5年、いや3年以内(2020年3月まで)にこうした徴候(護憲派の中から“改憲容認ただし時期尚早”派が台頭)が明確に見られなければ、私の“見立て”は大ハズレだったと認めることにする。

 

“9条改正しかし時期尚早”論そのものについてはまた改めて述べる。

 

追記2  2017.5月4日

この記事に登場する“護憲の論客Gさん”こと泥憲和さんが急逝されたとの記事を新聞で見つけた。

63の若さだそうだ。方法論は真逆であるが、平和を心から愛するものとして哀悼の意を捧げる。

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 投稿コメントにこの場でお応えします。私の返信に公表すべき内容もあるので。

まずはそのコメントを紹介。

 

脱9条というけれど、by tocquezi

 

靖国神社に、戦争の方へ国民を指導し戦争を推進し、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」を非武装のシヴィリアンにまで拡大して犠牲を増やした政治家と、その指導・指令のもとで命を失った犠牲者と両方が神として祭られていることに、犠牲者の遺族は批判も抗議もしない。

 

戦争に関して聞かれれば「戦争は2度としてはいけない:してほしくない」というが、選挙には、実態の危なっかしい安保法制を強行成立させたり日米行政協定の改定も考慮しない自公維勢力を絶対多数派にさせる人が国民にかなり多くいる
 かつての戦争の総括を、東京裁判の裁きで済ませてしまって自力で行なおうとはしないままで、上のような投票行動をする
 こういう現状で、9条撤廃をしたらその先はどうなるとお考えでしょうか。

 

私のお答え

 

“脱9条論”は特定の“歴史認識”に立脚するものではありません

 

 このブログでは9条の持つ問題点・矛盾・副作用等について各記事で論じています。

“9条を撤廃したらその先はどうなる”とのご質問ですが、撤廃すればこれらの問題点が解決する、としか言いようがありません。そのことを明らかにする事こそがこのブログの存在理由ですから。

 もちろん9条を撤廃すればそこに全ての問題が解決する“地上の楽園”が待っているなどというつもりはありません。が、少なくとも現状よりはずっとマシな立憲主義の法治国家になることは確信しています。

 

 Tocqueziさんの指摘する“こういう現状”についてはテーマが大きすぎてここでは論じきれません。

 ただその“現状”認識を全肯定したとしても私の“脱9条論”を否定することにはならないと考えます。

 記事を書くにあたっては、特定の歴史認識・社会認識に立脚するものではない、普遍性のある論理を心がけているからです。特に“護憲派系歴史認識”については常に念頭に入れながら記事を書いています。何しろこのブログは“護憲派”の皆さんにこそ読んでいただきたいものですから。

 

 例えば国家の武力装置たる自衛隊の位置づけを憲法に明記することは、歴史認識等を超えて、日本が立憲主義・法治国家である限り当然の合理性・整合性の追求であると言えます。

 

(もちろん私には私なりの歴史認識はありますが、このブログでは今のところそうした主張を展開する予定はありません。)

 

 このブログへの批判や反論は大歓迎ですが・・・

 

 今回のように、このブログ記事とは無関係にご自分の考えを述べて“これについてどう思うのだ”、という形式で他者のブログ上に展開するのは無理があると思います。

 あくまでここの各ブログ記事を読んだ上で、記事中の事実誤認や論理矛盾を具体的に指摘し批判・反論する、という方法をとっていただきたく存じます。

 

 ここから先はちょっと書くのもバカバカしい確認なのですが、批判反論の際はあくまで私が明確に主張したこと、についてでお願いします。勝手に自分の中で“改憲論者”像を作り上げてこれに向かって反論、と言うより攻撃を仕掛けてくるのはカンベンしていただきたいのです。これまでこのブログへの批判反論はそんなのばかりだったもので。

 “オカシナ批判反論”の見本として                      

『私が言ってもいないことに反論して論破したと言われてもなあ。私からの反論です』 

をご覧いただければありがたいです。

(もしかして Tocqueziさん はこの見本のGさんのお知り合いとか?あるいはGさんの“刺客(笑)”とか?)

(追記・ Tocqueziさん はGさんなど知らないし文章も見たこともないとのことでした。完全に私の邪推・暴走でした。不快な思いをされたであろうお二人にお詫びします。)

(追記2・その後 この件では新たな事実が判明。詳しくは“追記4”にて)


 こうした方法論を守って頂いた上で具体的論理的な批判反論をいただければ誠意を持ってご回答させていただきます。もちろん私の側に事実誤認・論理矛盾等あればいつでも撤回・訂正する用意もあります。

 そうでない上記“見本”のような文章であれば、もう最後まで読まない可能性もありますがご容赦下さい。ああいう文は読んでてホントに疲れてしまうのです。疲れてまで読む意味もないし。

 

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

追記3

 

Tocqueziさんからさっそく返信をいただいた。私の“謝罪コメント”とあわせて紹介します。

 

無題 by Tocquezi

 

私は、泥さんの質問への答えで言ったように、自衛隊容認の立場で、したがって自衛について明らかにしていない現9条は改訂を要するという考えです。そのう えで、この国の現状では9条改定を提起する状況がまだ整っていないのではないかと思うので、今提起したらどうなると考えているのかを尋ねて、改憲提起の時 期を私なりに考えたいと思ったものであり、あなたに反論も批判もしたつもりはないんですけどね。
 まあ、私の言葉足らずはあったかもしれないと思うけど、それにしても、なんでそうカリカリと身構えるのかなあというのが、ブログを拝見しての正直なところです。
 それに、私が文章も名前(イニシャル)も見たこともないGさんとやらの仲間だろうとか刺客かとまで、自分の邪推を振りかざすのには、いろんな参考を提示してくれるブロガー氏のように思っていただけに、がっかりもしたし、討論する気もなくした次第です。おじゃましました。

 

私の返信

 

Re:無題

 

 すみません。Gさんとの関係についてはまさしく私の邪推でした。お詫びします。その旨ブログにも追記します。
 ただそんな愚かな邪推をしてしまった のにも理由はあって、今回のTocqueziさんのコメントにもいきなり登場した“泥さん”という名前がGさんのコメントにも度々登場していたからです。 少なくとも“泥さん”という共通のネット上の仲間が居るということで、その上私がGさんに退場願うと入れ替わるようなタイミングでTocqueziさんの コメントを頂いたもので、まあ半分暴走と思いつつあんな邪推文を入れてしまいました。恥じ入るばかりです。
 “カリカリと身構え”てしまうのもGさんにプロレス仕掛けられた流血の後遺症が残っているのでしょう。これまた恥じ入るばかりです。

 以 上、お詫びした上で“9条改定”の時期について私の考えを述べます。かつては私も改定の必要性には気づきつつ“時期尚早”とか“この内閣では”などと思っ ていたものです。がそれを言っていたら永遠に“時期尚早”は続いてしまう。

(“時期尚早”という言葉自体が常にそういう使われ方をされるとも言える。永遠に先延ばしするための言葉。)

 実際それで警察予備隊創設以来65年が過ぎてしまい、日本の立憲主義・法治国家 体制はズタズタになってしまったとの思いがあります。で、ここは法治国家としてのスジを通す事こそが日本社会にとっての最重要選択である、と考えるに至り ました。
 確かに改定時には多くの混乱も予想されます。Tocqueziさんと違って“9条には一切、手をふれてはならん”と信じる護憲派が社会に 対して大反対運動を仕掛けてくるでしょう。その反対理由の大部分が、彼らの思い込み・思考停止状態に基づくものだと、私自身の“護憲派時代”から理解でき るのです。そういう彼ら(かつての私)の思考停止状態を何とか打開したい、との思いで、このブログを続けています。

 一方で議席数的にはすでに改憲準備は整っています。しかし現在の状態、護憲勢力が改憲の意味を全く理解していない大反対状態で、“数の力”で押し切ってしまいたくない、と言う思いもある。“彼ら”にはちゃんと改憲の意味・意義を理解してもらった上で9条を改正したい、ということです。

 

追記4

 

その後ちょっとびっくりするような事実が判明。

まずはTocqueziさんの返信 を 。

 

Re:Re:無題

 

拝見して、お考えを知ることが出来ました。ありがとうございます。
いろいろの論考を参考にしながら考えを深めていこうと思います。ちゃんと頭が働くうちに間にあえば、のことですが。

 


私の返信

Re:Re:Re:無題

恐れいります。
ところで私がブログ上で紹介した“コマッタ批判文の見本”Gさんとは
 “AC・DV・虐待・性暴力撲滅・戦争と平和図書館” というブログを主催している
 “ ギター弾き。カルト・DV・性暴力被害者・ACの水飲み場 ” さんのことです。長い名前なので私は“ギター弾きさん”あるいは“Gさん”と呼んでいました。改めて確認したところ、今は
“戦争図書館談話室シンギング ボールとヒプノACの水飲み場”という名前に変えていました。

言うまでもありませんがこのブログをTocqueziさんはご自身のブログで、最新の記事も含めて複数回リブログ紹介されています。“ブログ上の知り合い”と言って差し支えない状況であり、また文章を読んだこともあるはずです。

“なぜか”急に名前を変えて“Gさん”ではなくなってしまったので Tocqueziさん は気づかなかったのかも知れませんが。

以上事実関係の報告です。
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       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記5

プロレス好きのGさん、じゃなかった今度はSさん、今度は覆面レスラーになったのだろうか。
オカゲで私はムダに Tocqueziさん にお叱りを受けてムダに謝罪してしまった気がするなあ。まあ“刺客”は言いすぎだったとしても、これだけの根拠があったらジョークで済む範囲じゃなかろうか。“(笑)”もつけてるし。
まあプロレスラーにシロウトが関わると次々に痛い目にあうなあ。

 

 

 メデイアではあまり報じられていないが、スウェーデンで7年ぶりに徴兵制が復活するという。ロシアの脅威に備えるためだそうである。政府が発表し野党も含めた政界全体が賛同しているという。

 スウェーデンといえば日本では世界有数の福祉大国として知られる。そんなスウェーデンでなぜ?と思う方も多いと思う。

 そこでこのブログの古い記事を2つ引っ張りだそうと思う。

 一つ目は 『“強い国より優しい社会”ですって』

 “理想の福祉国家”と“軍事力”の関係について論じている。

 

 二つ目は 『【変な主張20】9条改正をすると日本は“徴兵制の国”になってしまう?』 

 高度な民主国家にとって“徴兵制”とは何なのかを論じている。

 

 どちらも3~4年前の記事である。多少手を加えたい部分もあるがが、敢えてそのまま紹介したい。主張の核心は今だ色あせていないからだ。

 それにしても今回のスウェーデンの徴兵制復活は私も驚いた。現代の先進国において、一度廃止された徴兵制が復活した事例を私は知らない。改めてヨーロッパにおける“自国が侵略されることのリアリティとその備え”について思い知らされた思いである。

 

 一方日本では繰り返される北朝鮮の弾道ミサイル発射について、9条派のこんなコメントもある。

 “日本に米軍基地があるから北朝鮮は日本を狙うのだ。”

 確かにそういう側面はある。そのことを簡単に否定すべきではない。問題はじゃあ米軍基地がなくて、日本独自のこれに代わる装備もなければどうなるのか、という問題だ。

日本における “自国が侵略されることのリアリティとその備え”感覚の欠如について思い知らされたコメントである。

 

 もちろん私が“日本にも徴兵制を”などと主張するものでは全くない。スグそういう早とちりをしては怒る人がいるので念のため。

 言ってもいないことで怒られるのはもう沢山なのである。