9条さんの主張はどれもそうなんですが、そのコトバだけ、その一文だけ取り上げれば全くその通りなんです。命が何より大切に決まっているし、人殺しはいけないに決まっているし、人殺しをするために自衛隊に入る奴はいない。
でも人間社会はそんな単純なものじゃないでしょう。
“主張3.9条を改正するって?じゃあ戦争してもいいっていうのか”の項で述べたように、世界にはいまだ“やむを得ない戦争”が存在するわけです。当然双方による“人殺し”が行われている。
アメリカによるベトナムへの侵略戦争においても、悪玉であるアメリカの空爆や住民虐殺・枯葉剤攻撃ばかり取り挙げられるけど、一方で間違いなくベトナムの兵士だってアメリカの兵士を殺している。(アメリカ軍の死者は5万8000人!)この事であなたはこのベトナムの兵士を“人殺し”呼ばわりするのですか。
リビアでのカダフィによる虐殺を止めるためにNATO軍が行った空爆でだって、カダフィの傭兵が殺され、一般住民も巻き添えで殺されました。そのことでNATO軍の兵士一人一人も“人殺し”呼ばわりされるべきなのでしょうか。
まあ幸いな事に実際には9条さんたちが彼らを“人殺し”呼ばわりしたという話は聞きません。しかしこのことは決して彼らが現実を直視した故ではないようです。リビアやコソボでのNATO軍の空爆について9条派の、少なくとも“とにかく人殺しはいけない”という9条派のコメントは聞いたことがありません。彼らはこのような“やむを得ない戦争”やそれに伴う“やむを得ない人殺し”については“無かったこと”にする。
彼らにとってベトナムやリビアで起こったことは、あくまでアメリカの空爆やカダフィの虐殺が全てであって、それに抵抗し戦って“人殺し”もして“正義”を勝ち取った事実など存在しないのでしょう。9条の理念に都合の悪い現実は全て無かったことにされてしまう。
だから世界で何が起ころうとも相変わらず“戦争はいけない、人殺しはいけない”と繰り返す。さらにはここでも“9条の定理”(主張1参照)
が適用され、日本の周辺で戦争が起これば日本だけが悪いに決まっているのだから自衛官による人殺しはあってはならない、となります。
“自衛官が人殺しをするために自衛隊に入ったのではない”のはアタリマエです。そんな目的で入隊して目的を達成した自衛官など今まで一人もいませんから。まあそれはともかく。
確かに数十年前までは自衛隊に入るといえば、職のない若者が給料もらって資格や免許取って、適当なときに辞めるって雰囲気はありました。(もちろんこの時代にだって真面目な隊員もいたはずですが。)中国も北朝鮮も今のような力もなく、東西冷戦時代で対ソ連についてはアメリカが核によるガチガチの防衛線を敷いていて、かつ9条による規制も今よりずっと厳しくて、まあ自衛隊の出番などまず無いと思われていた“古キ良キ時代”の話です。
しかし今は違う。日本の隣には世界有数のキケンな国が3つも存在し、日々様々な挑発行為を繰り返しています。一方9条のハドメなどすっかり緩みきって、自衛隊は国連決議もない活動に、インド洋やイラクまで出掛けてゆく時代だ。こんな時代に入隊する若者が“万が一の覚悟”ももっていないなどとどうして言えるのでしょう。日々厳しい訓練を受けながら、そうした厳しい世界情勢も学んでいる。自衛官であるという事がどういう事であるのか嫌でも自覚せざるをえないわけです。当然最後には自分の命・相手の生命をかけて戦う覚悟はいつでも出来ている、と考えるのが自然でしょう。それはどこの国の軍人でも、少なくとも近代化を終えた民主国家の軍人であれば当然の感覚です。
このあたり9条さんたちにとっては、兵隊といえば赤紙一枚で戦地に送られ上官に殴られそして殺し殺されてゆく、あのイメージしか無い。近代化も民主化も終えていないかつての日本においてはそれも一つの事実だったのかもしれません。が、今は国家としての日本の状況は全く違います。今はゼイタク言わなければ何やったって食える時代です。生活保護で食っている若者だって少なからずいる。そんな時代に志願して日々厳しい訓練を伴う自衛官という職業を選んだ若者の意思というものをどうお考えでしょうか。
“自衛官になった若者だって人殺しをするために自衛隊に入ったのではない”とか言って、あたかも自衛官の心情に共感し同情しているかのようですが実際どうなのでしょう。
自衛官にかぎらず警察官にしろ消防官にしろ海上保安官にしろ、職業として社会の安全を守り人々の生命と財産を守ることに、いざとなったら自分の命も投げ出す覚悟を持って日々業務にあたっている人がいることが理解できないのでしょうか。
いや、そういったそもそも危険を伴う事が前提としてある特殊な公務員に限りません。東日本大震災の津波の時、防災無線で最後まで避難を呼びかけて自らの命を落とした広報担当の女性職員もいました。
彼女一人の命を犠牲にしてその何倍もの命を救うことが出来た。そういうことが実世界にはあるということです。
“命が大事”などというアタリマエでありかつ時にはトンチンカンな同情だか共感だかの発言がいかに失礼なものであるかを考えていただきたいものです。