2016.6月
沖縄の強姦殺人事件はあくまで個人犯罪である
もちろん二十歳そこそこの若い女性に対する暴行殺人など絶対に許されない憎むべき犯罪である。
が、このどう見ても個人犯罪であるこの事件を“基地のせい”と断じるメデイアには呆れ、そして怒りすら覚えるのである。
もちろんここで“地位協定”でも絡んでくれば“基地問題”の一部と捉える見方もあっていいだろう。しかし今回の事件は地位協定が適用されないことは直ちに発表されている。
例えばほぼ同時期に“アイドル活動中女子大生刺傷事件”というのがあった。大雑把に言って沖縄の事件と同種のこの犯罪については、問題点として犯人の生育歴や現在の生活状況・前科前歴などが調べられ、そこから犯行の動機・再発防止策などがトリザタされる。彼の“勤務先”と犯行を結びつける論点などどこにもない。
また例え彼の前歴が暴力団員だったとしてもその“業務”に関わる犯行で無い限り、その前歴も今回の犯罪については特に問題とはされないだろう。彼の個人的生育歴の一つとして、以外は。
ところが沖縄の事件はどうだ。犯人の生育歴・現在の生活状況・前科前歴から犯行の動機を探る動きなど全くなく、元米兵・現軍属の犯行と明らかになった瞬間から“基地が悪い”の大合唱。犯罪そのものに何の検証もなされない。そして“米軍基地は出て行け”だ。オカシイと思いませんか。
例えば米国で生粋の白人が銃の乱射事件とか起こしたとする。“アイドル事件”と同様、犯人の生育歴・現在の生活状況・前科前歴などからこの犯行が分析されるだろう。
ところが同じ地で移民のイスラム教徒が同じ事件を起こすとトランプ的な人はすぐに“イスラム過激派のテロだ、イスラム移民は出てゆけ”だ。
この2つの状況ってそっくりじゃないか。
犯人の持つ様々な属性の中から一つだけを取り出してその犯行の原因と断定する。
そしてその属性を共有する人々あるいは組織そのものを全てをヒトマトメに排除せよ、と。言うまでもなくイスラム移民も米軍基地関係者も99%以上が善良な市民である。
憎悪を煽るメデイアの歴史と現在のメデイア
少し前の“NHKスペシャル”で、第二次大戦中、日米双方のメデイアがいかに相手国ヘの憎悪を煽ったかが検証されていた。
また最近の同番組でもロシア・ウクライナ双方のメデイアが、有る事無い事誇張して相手国への憎悪を煽っていたことが検証され、両番組ともメデイアの責任を促すものだった。
またトランプによる、いくつかの個別的エピソードを以って特定の宗教・民族への憎悪を煽る演説にもメデイアは批判的である。
過去への反省、他国の批判、トランプ批判、共にもっともである。
しかし日本の現在のメデイア自身はどうだ。
世界中どこでもいつでも起こりうる個人犯罪を何の検証もなく“基地のせい”と、基地への憎悪を煽る姿勢は、自らが“ヒトゴト”として批判する“憎悪を煽るメデイア”そのものではないか。
米軍基地批判をするなら正面から堂々と論じよ。米軍を撤退させた場合の日本の安全保障の再構築も含めて。
基地問題とは、少なくとも“何処にでもいる凶悪犯罪者が基地内にもいる事”などではないはずだ。
そしてその解決法も“米軍基地への憎悪を煽ること”などではないはずだ。
追記2016.12月
先日のオスプレイ事故でも同様の構図が繰り返されている。事故の具体的検証には聞く耳持たず、“オスプレイは出てゆけ”“米軍はでてゆけ”の大合唱がメディアから垂れ流され、またしても憎悪を煽り続けている。
2016.2月
“軍需産業はビッグビジネス”だが
“戦争はビッグビジネス”とは言えない
2月12日フジテレビ系“池上彰緊急スペシャル・なぜ世界から戦争がなくならないのか”である。
池上氏は言う
“戦争はビッグビジネスである”
で、このビッグビジネスが戦争を求めるのだそうだ。
このビッグビジネスの存在が“世界から戦争がなくならない”理由の一つだそうだ。
が。これ完全なマチガイ。
確かに “軍需産業はビッグビジネスである。”
軍需産業に各国から多くの税金が投入され多くの雇用を生みまた当然のように大きな利権を生む。
が、この巨大な金の流れは戦争がなければ成立しないのかといえば、そうではない。
番組では軍服のズボンを生産する米国のアパレルメーカーを紹介して軍需産業の底辺の広さの例とし、戦争があれば更に需要が増し、このメーカーも儲かるのだと断定していた。果たしてそうか。
戦争がなくても軍需産業は巨大利益を上げる
武器弾薬、そしてこのような軍服に至るまで世界中の軍隊がこれを必要としている。そして日々の訓練でこれを使用し消耗し新たに購入する。なにも戦争などせずとも各国はこれを繰り返し、毎年その国に見合った国防予算が計上され軍需産業へと流れてゆく。
安定した先進国ではその額は他の予算と同様、大きな変動はない。概ねどの国もGDPの数パーセントが軍事予算に当てられ、つまりは軍需産業は何もせずとも安定した収益をあげられるということだ。
もちろん営利企業たるもの“安定した収益”等で満足すべきではない。常により大きな収益を求める事こそ健全な営利企業であると言える。ましてや軍需産業といえば別名“死の商人”。どんな手を使ってでも自らの利益を追求する姿こそ、その別名に恥じぬ姿と言える。
では死の商人たる軍需産業がより大きな儲けをあげるために戦争を期待しているのだろうか。
中国は戦争をやめて、軍事品の爆買いを始めた
中国の例を見てみよう。
中国はこの10年で軍事費を10倍にしてきたと言われる。政治・軍事面から見れば10年で中国の軍事的脅威が10倍になったことは確かだ。が、軍事経済面から見れば世界の軍需産業に莫大な貢献をしてきたということだ。10年で10倍の貢献。正に軍事品の爆買い状態である。
じゃあ中国はこの10年、戦争に明け暮れていたのか。もちろんそんなことはない。事実は逆である。
戦争と革命が大好きな“毛沢東世代”がようやく去り、鄧小平が経済発展を第一に掲げ大きな成果をあげた。そしてこの間、中国は戦争などしていない。。GDPは日本を抜き世界第2位となり、それ故に軍需産業にも莫大な資金をつぎ込むことが出来たということだ。
つまり軍需産業が儲けるためには、戦争をすることなんかではなく、各国が中国のように戦争などせずに経済発展に力を注ぎ資金を蓄積すること、GDPを押し上げることがが第一なのである。そのことが必然的にその国の軍事予算を増加させる。当然軍需産業は大きな収益をあげる。
途上国は新興国へ、新興国は先進国へと経済発展する事こそが軍需産業がより儲けるためのミチスジであることが見えてくる。
そしてこうした経済発展の一番大きな妨げになるのが戦争である。
(補足1 もちろん紛争地周辺で武器の売買をしている個人商店的“死の商人”にとっては戦争・紛争が金づるであることは確かだ。あるいは経営の傾いた特定の軍事企業がある戦争がカンフル剤となって経営を立て直すこともあるだろう。
が、ここで問題にしているのはそうした局部的問題ではなく、あくまで世界経済・国際政治を牛耳るほどの力を持つ軍事企業群総体の話である。
また確かに訓練による装備の消耗に比べれば実戦の消費・消耗度は比べ物にならない。ただこうしたあくまで消耗品の“補充”と、中国が軍需品を“爆買い”するように、他の新興国もこの市場に次々参入するのと、どちらが世界の軍需産業の収益に貢献するのかは比べるべくも無いだろう。)
フランスの軍需産業はウクライナ紛争で儲けそこねた
別の面からも見てみよう。
フランスはアメリカに次ぐ軍需産業国家で、どんな国相手にも商売しちゃうのだが、ロシアから2隻も受注して製造も始めていたミストラル級強襲揚陸艦て軍艦、ウクライナ紛争のアオリを受けて、キャンセルになってしまった。
つまり戦争のためにフランスの軍需産業は儲け損なっったということである。
“平和であればこその軍需産業”という姿がここでも証明される。
(その後売り損なった2隻のミストラルは他国に売られたようだが相当買い叩かれた事は想像に難くない)
軍需産業も他の産業と何ら変わりはないのだ
世界各国の経済発展の他にもう一つ軍需産業がより大きな収益を上げる方法をあげておこう。
それは新製品の開発。
新興国頼みの市場の開発と新製品の開発。
何の事はない。どの企業にも求められる“収益増加”の理屈が軍需産業にもそのまま当てはまるというだけの話である。そして一般企業の収益増加に戦争がジャマであるのも軍需産業にそのまま当てはまる。
改めて結論。
軍需産業が儲けるためには戦争のない平和な世界であることが絶対条件なのである。
もちろん“戦争の火ダネ”がくすぶっているからこその軍需産業であることは確かだが、その火ダネが炎上してしまわないことが大事なのである。
そして少しの火ダネもくすぶっていない“9条派の考える理想世界”など、まあありえない以上、“平和な世界あってこその軍需産業”と断言して差し支えあるまい。
“戦争をすると軍需産業が儲かる”だなんてマチガイ。
(補足2 確かにかつて“新興国”という概念がない時代は軍需産業がより収益を上げようと思えば戦争による軍事品の消費・消耗が第一であった。だって高価な軍事品を買える国なんて先進国しかなかったのだから。だが今はもちろん違う。全ての商品と同様、販売促進・収益拡大には新興国の経済発展が一番なのである。)
さてではナゼこんな話をこの“脱9条論”で始めたかといえば、続きはまた次回へ・・・
【“経済至上主義が戦争を導く”のか。超絶9条人Wさんとの対話(実話) 】
【“安倍晋三は戦争がしたくてたまらない”という9条派の思い込みを検証する 】
参照
追記
7月14日朝日新聞の記事によると内戦状態が再開した南スーダンについて国連安保理は同国への武器禁輸を検討し、今まで反対していたロシアも賛成に回りそうだという。
つまりこの内戦によって軍需産業は同国で儲け損なうということだ。
一方、内戦が終結し政情が安定すれば資源が豊富な同国にはが外国からの投資も見込まれ、その結果経済発展すれば、これに見合った軍事予算が付けられ、各国の軍需産業が潤うことになる。
つまりここでもまた、“戦争があると軍需産業が儲かる”が否定され、
“平和であることのほうが軍需産業は儲かる”が実証されることになる。
追記2 2016.12月
国連安保理は武器禁輸を含む南スーダン制裁決議を、日本・ロシア・中国などの“棄権”票により否決した。この意味については
『南スーダン安保理決議を見ても、戦争をすると軍需産業が儲かるだなんて、池上さんやっぱり間違ってます 』参照
“軍需産業はビッグビジネス”だが
“戦争はビッグビジネス”とは言えない
2月12日フジテレビ系“池上彰緊急スペシャル・なぜ世界から戦争がなくならないのか”である。
池上氏は言う
“戦争はビッグビジネスである”
で、このビッグビジネスが戦争を求めるのだそうだ。
このビッグビジネスの存在が“世界から戦争がなくならない”理由の一つだそうだ。
が。これ完全なマチガイ。
確かに “軍需産業はビッグビジネスである。”
軍需産業に各国から多くの税金が投入され多くの雇用を生みまた当然のように大きな利権を生む。
が、この巨大な金の流れは戦争がなければ成立しないのかといえば、そうではない。
番組では軍服のズボンを生産する米国のアパレルメーカーを紹介して軍需産業の底辺の広さの例とし、戦争があれば更に需要が増し、このメーカーも儲かるのだと断定していた。果たしてそうか。
戦争がなくても軍需産業は巨大利益を上げる
武器弾薬、そしてこのような軍服に至るまで世界中の軍隊がこれを必要としている。そして日々の訓練でこれを使用し消耗し新たに購入する。なにも戦争などせずとも各国はこれを繰り返し、毎年その国に見合った国防予算が計上され軍需産業へと流れてゆく。
安定した先進国ではその額は他の予算と同様、大きな変動はない。概ねどの国もGDPの数パーセントが軍事予算に当てられ、つまりは軍需産業は何もせずとも安定した収益をあげられるということだ。
もちろん営利企業たるもの“安定した収益”等で満足すべきではない。常により大きな収益を求める事こそ健全な営利企業であると言える。ましてや軍需産業といえば別名“死の商人”。どんな手を使ってでも自らの利益を追求する姿こそ、その別名に恥じぬ姿と言える。
では死の商人たる軍需産業がより大きな儲けをあげるために戦争を期待しているのだろうか。
中国は戦争をやめて、軍事品の爆買いを始めた
中国の例を見てみよう。
中国はこの10年で軍事費を10倍にしてきたと言われる。政治・軍事面から見れば10年で中国の軍事的脅威が10倍になったことは確かだ。が、軍事経済面から見れば世界の軍需産業に莫大な貢献をしてきたということだ。10年で10倍の貢献。正に軍事品の爆買い状態である。
じゃあ中国はこの10年、戦争に明け暮れていたのか。もちろんそんなことはない。事実は逆である。
戦争と革命が大好きな“毛沢東世代”がようやく去り、鄧小平が経済発展を第一に掲げ大きな成果をあげた。そしてこの間、中国は戦争などしていない。。GDPは日本を抜き世界第2位となり、それ故に軍需産業にも莫大な資金をつぎ込むことが出来たということだ。
つまり軍需産業が儲けるためには、戦争をすることなんかではなく、各国が中国のように戦争などせずに経済発展に力を注ぎ資金を蓄積すること、GDPを押し上げることがが第一なのである。そのことが必然的にその国の軍事予算を増加させる。当然軍需産業は大きな収益をあげる。
途上国は新興国へ、新興国は先進国へと経済発展する事こそが軍需産業がより儲けるためのミチスジであることが見えてくる。
そしてこうした経済発展の一番大きな妨げになるのが戦争である。
(補足1 もちろん紛争地周辺で武器の売買をしている個人商店的“死の商人”にとっては戦争・紛争が金づるであることは確かだ。あるいは経営の傾いた特定の軍事企業がある戦争がカンフル剤となって経営を立て直すこともあるだろう。
が、ここで問題にしているのはそうした局部的問題ではなく、あくまで世界経済・国際政治を牛耳るほどの力を持つ軍事企業群総体の話である。
また確かに訓練による装備の消耗に比べれば実戦の消費・消耗度は比べ物にならない。ただこうしたあくまで消耗品の“補充”と、中国が軍需品を“爆買い”するように、他の新興国もこの市場に次々参入するのと、どちらが世界の軍需産業の収益に貢献するのかは比べるべくも無いだろう。)
フランスの軍需産業はウクライナ紛争で儲けそこねた
別の面からも見てみよう。
フランスはアメリカに次ぐ軍需産業国家で、どんな国相手にも商売しちゃうのだが、ロシアから2隻も受注して製造も始めていたミストラル級強襲揚陸艦て軍艦、ウクライナ紛争のアオリを受けて、キャンセルになってしまった。
つまり戦争のためにフランスの軍需産業は儲け損なっったということである。
“平和であればこその軍需産業”という姿がここでも証明される。
(その後売り損なった2隻のミストラルは他国に売られたようだが相当買い叩かれた事は想像に難くない)
軍需産業も他の産業と何ら変わりはないのだ
世界各国の経済発展の他にもう一つ軍需産業がより大きな収益を上げる方法をあげておこう。
それは新製品の開発。
新興国頼みの市場の開発と新製品の開発。
何の事はない。どの企業にも求められる“収益増加”の理屈が軍需産業にもそのまま当てはまるというだけの話である。そして一般企業の収益増加に戦争がジャマであるのも軍需産業にそのまま当てはまる。
改めて結論。
軍需産業が儲けるためには戦争のない平和な世界であることが絶対条件なのである。
もちろん“戦争の火ダネ”がくすぶっているからこその軍需産業であることは確かだが、その火ダネが炎上してしまわないことが大事なのである。
そして少しの火ダネもくすぶっていない“9条派の考える理想世界”など、まあありえない以上、“平和な世界あってこその軍需産業”と断言して差し支えあるまい。
“戦争をすると軍需産業が儲かる”だなんてマチガイ。
(補足2 確かにかつて“新興国”という概念がない時代は軍需産業がより収益を上げようと思えば戦争による軍事品の消費・消耗が第一であった。だって高価な軍事品を買える国なんて先進国しかなかったのだから。だが今はもちろん違う。全ての商品と同様、販売促進・収益拡大には新興国の経済発展が一番なのである。)
さてではナゼこんな話をこの“脱9条論”で始めたかといえば、続きはまた次回へ・・・
【“経済至上主義が戦争を導く”のか。超絶9条人Wさんとの対話(実話) 】
【“安倍晋三は戦争がしたくてたまらない”という9条派の思い込みを検証する 】
参照
追記
7月14日朝日新聞の記事によると内戦状態が再開した南スーダンについて国連安保理は同国への武器禁輸を検討し、今まで反対していたロシアも賛成に回りそうだという。
つまりこの内戦によって軍需産業は同国で儲け損なうということだ。
一方、内戦が終結し政情が安定すれば資源が豊富な同国にはが外国からの投資も見込まれ、その結果経済発展すれば、これに見合った軍事予算が付けられ、各国の軍需産業が潤うことになる。
つまりここでもまた、“戦争があると軍需産業が儲かる”が否定され、
“平和であることのほうが軍需産業は儲かる”が実証されることになる。
追記2 2016.12月
国連安保理は武器禁輸を含む南スーダン制裁決議を、日本・ロシア・中国などの“棄権”票により否決した。この意味については
『南スーダン安保理決議を見ても、戦争をすると軍需産業が儲かるだなんて、池上さんやっぱり間違ってます 』参照
2015.12月
英国ではキャメロン首相がシリアでの空爆を提案し、ドイツではメルケルがイラク・シリアへの偵察機の派遣を提案している。もちろん論拠は“テロとの闘いから逃げるわけには行かない”
どちらも議会の承認を求めているわけだが、もちろん反対派もいて、その論拠は“自国へのテロの危険が増す”というものである。
それぞれが根拠のある真っ当な主張である。
両国とも今後議会においてメリット・デメリットを出し合い議論を重ね、多数決によって国家としての結論を出す。
なんとも羨ましい民主国家ぶりである。
わが日本はどうか。
安保法について反対派はその中身について議論を戦わそうとはせず、
“戦争法反対”“憲法守れ”と叫ぶのみ。賛成派の主張になど聞く耳を持たない。
ま、しかしエラそうな事言っても、私もムカシ9条派だった頃は、9条に楯突くやつは悪魔の手先だと思っていたものである。
悪魔を退治するのに必要なのは当然“議論”などではなく、“悪魔祓いの”儀式である。
ホラ、今日も国会前やら繁華街やらでどんちゃかどんちゃか歌って踊って悪魔祓いの儀式が行われているではないか。
(もちろん私はデモを否定しているのではない。民主社会の維持にに必要な表現であると認識している。
ただ論理と事実認識の裏付けもなく議論もしようとしない主張を通すためのデモはやはり“悪魔祓いの儀式”と言わざるを得ない。)
英国ではキャメロン首相がシリアでの空爆を提案し、ドイツではメルケルがイラク・シリアへの偵察機の派遣を提案している。もちろん論拠は“テロとの闘いから逃げるわけには行かない”
どちらも議会の承認を求めているわけだが、もちろん反対派もいて、その論拠は“自国へのテロの危険が増す”というものである。
それぞれが根拠のある真っ当な主張である。
両国とも今後議会においてメリット・デメリットを出し合い議論を重ね、多数決によって国家としての結論を出す。
なんとも羨ましい民主国家ぶりである。
わが日本はどうか。
安保法について反対派はその中身について議論を戦わそうとはせず、
“戦争法反対”“憲法守れ”と叫ぶのみ。賛成派の主張になど聞く耳を持たない。
ま、しかしエラそうな事言っても、私もムカシ9条派だった頃は、9条に楯突くやつは悪魔の手先だと思っていたものである。
悪魔を退治するのに必要なのは当然“議論”などではなく、“悪魔祓いの”儀式である。
ホラ、今日も国会前やら繁華街やらでどんちゃかどんちゃか歌って踊って悪魔祓いの儀式が行われているではないか。
(もちろん私はデモを否定しているのではない。民主社会の維持にに必要な表現であると認識している。
ただ論理と事実認識の裏付けもなく議論もしようとしない主張を通すためのデモはやはり“悪魔祓いの儀式”と言わざるを得ない。)