港町 京都伏見  川の港で遊ぶ | レールは、こころをつなぐ道。

【港町 京都伏見  川の港で遊ぶ】

11/14(土)・15(日) 10時~15時 伏見港公園界隈

 

「みなとオアシス」とは、「みなと」を核とした地域の活性化を促進するため、国土交通省港湾局長が登録したものをいい、京都伏見は全国唯一の「川の港」として登録を目指しています。
 

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伏見に港?
伏見港は1594年豊臣秀吉によって、伏見城築城のために整備され、京都と大坂(阪)を結ぶ河川水運の要衝として大きな役割を果たしてきました。
江戸時代は周辺の水路は大変広く、伏見港として淀川水運の要衝として、また1619年からは東海道五十七次の54番目の宿場町として大変賑わっていました。

 

 

【 伏見 京橋 】
古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館) ;澱川両岸一覧. 上り船,下り船之部 / 暁晴翁 著述 ; 松川半山 画図 巻2-12

 

幕末には寺田屋事件で負傷した坂本龍馬が妻お龍と共に寺田屋浜から船に乗り九州霧島へ旅立った様に、伏見は太平洋と直結した大きな港町として近代まで繁盛していました。

 

龍馬夫妻が見つめる寺田屋浜 左は京橋 寺田屋は右建物の右方向

 

その様な背景が有り、川の港町 伏見(下油掛:京橋)から日本最初の路面電車が1895年2月1日に七条停車場(現 京都駅)まで開業し、大阪八軒屋と伏見港を結んでいた淀川汽船と京都電気鉄道は1週間、七条停車場や稲荷新道との連絡切符を発売しました。


 

京橋を北へ行くと突き当たりで旅人の休憩処ともなっていた伏見駿河屋は、京都電気鉄道開業にあたり西側を京都電気鉄道に提供しました。

中書島が「島」の頃

 

下油掛(京橋)起点と伏見駿河屋 イメージ画像:窪田和弘氏

 


更に同年4月1日には現在の岡崎公園周辺での第4回内国勧業博覧会の開催と同日に、京都電気鉄道は七条停車場~木屋町二条~南禅寺まで開業し観客輸送に活躍しました。

京都電気鉄道はその後も徐々に京都市内に路線を延長していきましたが、路面電車事業が認知され始めると、京都市が進める道路と都市の一体整備には勝てず1918(大正7)年に京都市電に吸収されました。