よくある質問 1  新橋~横浜 | レールは、こころをつなぐ道。

● 新橋~横浜?

 

伏見チンチン電車の会のクリスマスカード 

京都伏見の下油掛(京橋)から七条停車場踏切南(現京都駅)間に日本最初の電気鉄道京都電気鉄道が走り始めた1895(明治28)年ころ、日本では教会でクリスマスを祝う習慣はあったが、商用でクリスマスツリーを飾ったりクリスマスケーキが売られるようになったのはその十年ほど後の事でした。

 

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● 新橋~横浜?

 

さて、時には「日本最初は新橋~横浜でしょ?」と質問されることもあるのですが…

 

それは、1872(明治5)年日本最初の鉄道として官営鉄道が新橋~横浜に蒸気機関を動力としたSLが客車を牽引して走り始めたもので、これは都市間輸送を前提とした鉄道でした。

 

一方、市街地輸送では1882(明治15)年、東京馬車鉄道が線路上の客車を(トナカイではなく)馬が牽く鉄道の営業を開始しました。これは名前こそ鉄道ですが、行政上は、人が牽く人車軌道と同様に軌道に属するものでした。

 

そして、1890(明治23)年、第三回内国勧業博覧会(東京)において日本で初めて電気で走る鉄道が披露されました。これは1887(明治20)年東京に完成した日本最初の火力発電を利用して博覧会場内での展示運転でした。

 

その後、1895(明治28)年に琵琶湖疏水の水力を利用した蹴上(けあげ)水力発電所の電気を利用して、日本最初の電気鉄道 京都電気鉄道が営業を開始しました。この水力発電も1891明治24)年に運転を開始した日本最初の一般電気事業用の電力でした。

 

しかし、その蹴上発電所は取水口の藻刈り作業で毎月2日間の停電に加え,故障などによる停電が頻発したため、京都電気鉄道は開業4年目の1899(明治32)年には東九条に自前の火力発電所を建設し、その4年後の1903(明治36)年には蹴上発電所からの電力購入を取りやめました。

 

なにしろ、日本で初めての電気で走る鉄道のため関連する法制度など有るはずもなく、馬車鉄道の馬が電気に代わっただけ、?鉄道?軌道?、便利なのか?、安全なのか?、どの様な乗り物か?、などの評価・認識も無く、よく分からないので認可を渋られた京都電気鉄道は「営業期間を30年とし、期限満了になれば何時でも電車を取り除きます。」との条件で建設を始めたのでした。

 

開業後も、結局日本で唯一となった電車告知人(先走り)の配置や、救助網や信号の設置など法整備が後追い状態で制定され、苦労と努力の連続でしたが、ようやく電車の良さが世間に認知されてきました。

 

しかし、後発ながら1912(明治45)年開業の市電事業と都市・道路整備を並行して進められる京都市の優位性は明らかで、私鉄の京都電気鉄道は到底対抗できず、1918(大正7)年、開業30年にはまだ7年も有る、23年目で京都市電に買収され「京都電気鉄道株式会社」は日本鉄道史にバイオニアとしてその名を残すだけとなりました。