京都市電ロマン 3 | レールは、こころをつなぐ道。

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日本の旅は、列車です。(JR-G 2004)

京都市電は40年前の1978(昭和53)年全線廃止まで、1895(明治28)年に開業した京都電気鉄道から通算83年間庶民の足として親しまれていました。

 

京都市電の路線図・廃止日や系統図は↓

※京都市電ギャラリーのサーバーがこちらに変更になりました↑

 

窪田和弘さんの作品紹介 その3

 

紹介する作品は市電が走っていた当時の風景ではなく、昔市電が走っていた場所のイラスト制作時の風景に市電を描き入れています。



伏見線の棒鼻~勧進橋間の竹田街道は市電の複線軌道が道路の東半分にあり柵もなく西半分が道路だったため南行車両は北行電車と北行車両の間を走る変則構造だった。このことが混雑する市内よりも早く、1970(昭和45)年に稲荷線と共に最初に廃止となった一因といわれている。

勧進橋の南詰(右方向)で伏見線と稲荷線が分岐していた


「高橋(たかばし)」と愛称される高倉跨線橋


新幹線をくぐり奈良線・東海道線を跨ぎラーメン店の前を通って京都駅前へ

 

1895(明治278)年開業した京都電気鉄道 は竹田街道八条を北進して市内を目指していたが東海道線との平面交差が認められず乗客は踏切を渡っていた。そして開業から6年目の1901(明治34)年に初代の高倉跨線橋が完成し伏見線と市内線がつながった。

 

ただし、当時の京都駅は塩小路通りに面したあたりに駅舎がありその後ろが線路だったので、現在より北寄りの、ラーメン店付近に東海道線があった。そのため駅前から塩小路通は東へ勾配を登り築堤の上に高倉通との三叉路があり、南側へ東海道線を越え、現在の東海道線の一番北寄り付近から南西に45度向きを変えて竹田街道八条交差点へ下っていた。

その東海道線は東山トンネルが開通する1921(大正10)年までは、京都駅を出ると南へ向きを変え、現在の奈良線稲荷駅経由で運転されていたのであった。

 

伏見線・稲荷線は1970(昭和45)年3月31日廃止

伏見線沿線スケッチ おわり

 

つづく

 

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