鴨川納涼床は上流は二条大橋から下流は五条大橋までの鴨川西岸に設けられるが、前記事 では四条大橋から上流の三条大橋方向を写した画像だった 京都鴨川納涼床HP ⇒ こちら
かつて江戸の日本橋から京都の三条大橋までの東海道は途中に53の宿場があった 東海道五十三次 (浮世絵) wikipedia ⇒ こちら
この三条大橋西詰には弥次さん喜多さんの像がある(↑左端付近)
東岸に見えるのは京阪電車「三条」駅ビル 京阪電車は七条駅手前あたりから鴨川沿いに出町柳駅まで地下線となっている
かつては地上駅で大津方面へ分岐していた京津(けいしん)線 は京都市営地下鉄東西線開通に伴い御陵(みささぎ)駅までを廃止したため、今では京津線は京阪本線とは接続せず、御陵駅から大津方面を受け持ち、三条通でその下を交差する地下鉄東西線を介して連絡している
そしてその京都市営地下鉄東西線の駅名は「三条京阪」駅である
余談だが2008年10月までは京阪電車地下線の内の3駅名は約1km西を並行に走る京都市営地下鉄烏丸線の駅名と同じ「五条」「四条」「丸太町」であったが、間違いを防ぐためと場所がわかり易いように、昔から使用していた京阪電車の方が「清水五条」「祇園四条」「神宮丸太町」と改称した
「七条」駅は他に同名駅がない事、「出町柳」駅は叡山電車と同名だが連絡駅なのでそのままとなっている
東岸の三条通南側のバスターミナルには高山彦九郎像が
高山彦九郎は江戸時代後期の尊皇思想家で京都御所のある北西方向を望拝している (※誤って土下座像と通称される事がある)
高山彦九郎 wikipedia ⇒ こちら
こちらは三条通北側、三条駅ビルの川端通西側歩道のモニュメント
駅伝はここから始まった 駅伝発祥の地 wikipedia ⇒ こちら
ひとつ南の四条大橋東北歩道の出雲阿国(いずもの おくに)象
安土桃山時代の女性芸能者で、かぶき踊りを創始し、様々な変遷を得て現在の歌舞伎が出来上がっている
現在では「出雲のお国」という呼称も同時代の資料には見られず、お国が出雲出身かどうかも学術的に決着がついていないとか
出雲の阿国 wikipedia ⇒ こちら
四条大橋東南の南座北側に像は有る 樹木の間
江戸時代初期、四条河原には幕府公認の芝居小屋が七座存在した。その後、火事で幾度も焼失し、また興行の中心が大坂に移ったため次第に数を減らし、江戸時代中期には四条通りの南(南の芝居)と北(北の芝居)、大和大路の西(西の芝居)の三座となった。西の芝居は1794年(寛政6年)の大火後は再建されず、二座が残った。さらに南座の向かいにあった北座は1892年(明治25年)四条通の拡張に伴い閉鎖され、南座のみになった 南座 wikipedia ⇒ こちら






