日本語は世界一美しい言葉 | 音の流れ・・・

日本語は世界一美しい言葉

久々のネル理論です。

前から言ってるけど、俺にとって日本語ほど美しい言語はないんじゃないかなって思ったりする。
(日本語・英語・スペイン語しかわからない自分が言うのもあれだけど・・・)


インタビューとかにもよく聞かれる。

「ネルさんは何で日本語で歌おうと思いましたか?」って。

そして、俺の答えはいつも一緒。

「日本語の歌詞が大好きですから。日本語の表現力ってものすごいです。まさに言葉で絵が描ける感じ。」


でも実は特に日本語のどこが素晴らしいのか、自分にはまだ曖昧な感じです。



曖昧だから素晴らしいかもしれない。



でもこの間コウに進められた谷川俊太郎の詩集を読んでみたらちょっとわかったような気がしました。


「世代」という詩です。


―詩をかいていて僕は感じた

漢字はだまっている
カタカナはだまっていない
カタカナは幼く明るく叫びをあげる
アカサタナハマヤラワ

漢字はだまっている
ひらがなはだまっていない
ひらがなはしとやかに囁きかける
いろはにほへとちりぬるを

―そこで僕は詩作をあきらめ
大論文を書こうと思う
「字ニ於ケル世代之問題」
「ジニオケルセダイノモンダイ」
「じにおけるせだいのもんだい」


ものすごく納得させられたような感じになりませんか?
つまり日本語の中には、3つの表現方法が隠されている。それらを、いつ、どこで使うのは自分次第。そしてその書かれたものをどうやって読んで、受け止めるのも自分次第。

無限の表現。それが日本語。


そして、コウから借りた谷川俊太郎の詩集には英語の訳も入っていて、さらに日本語の素晴らしさがわかる。

例えば「かなしみ」という詩。

『あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし者を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計にかなしくなってしまった』


・・・そして英語バージョン「Sadness」。

『Somewhere in that blue sky
where you hear the sound of the waves,
I think I lost something incredible.

Standing at Lost and Found
in a transparent station of the past,
I became all the sadder.』


英語わからないと伝わらないかもしれないけど、元の日本語詩と比べたら、なぜかものすごく物足りない気がしてしまう。実はこの英訳もほとんど完璧だし、俺だったら何も変えないけど、最初に日本語を読んでしまうと・・・まぁ、つまり他の英訳の詩はどうでもよくなってしまう。


「かなしみ」の日本語を読んで、この、若干泣きたくなる気持ちって何なんだろうね。


日本人からすれば、特に曲の歌詞に関して、日本語よりも英語の方がダントツかっこいい、と思ってる人はたくさんいる。

外国人だからこそ余計に日本語の美しさにいつも感動させられている自分からすれば、日本人の若いアーティストとかにもっと、谷川俊太郎みたいに日本語でしか表せない感動や気持ちを書いてみてほしい。昔の日本語の詩、古今集などを読んで、改めて自分の国の言葉を誇りに思ってほしい。