王様の耳はロバの耳
※下記はただのポエムです。ご注意下さい。ありがとうと言いましょう元気に挨拶をしましょう嘘をついてはいけません人の悪口・陰口を言ってはいけません勇気を出しましょう、元気を出しましょう悪いことは悪い、間違っていることは間違っていると言いましょう弱い者いじめをしてはいけません見てみぬふりをしてはいけません困っている人がいたら助けてあげましょう人の考えではなく、自分自身で考えましょう人の言いなりになってはいけませんもっと素直になりましょう優しい人になりましょういつも笑顔でいましょう悪いことをしたら素直に謝りましょうやればできるから頑張りなさいすぐに諦めてはいけません分からなければ人に聞きましょうほんなら、友だちが死ぬ言うたら、お前も死ぬんかあああっ!!!!まだまだあるだろうが、これらの、子供たちへ教えられることが、大人たちはどれだけ出来ているのだろうか?己自身がやっていなければただの"嘘"でしかない。子供がいようがいなかろうが、「もしいたらする」、「いる時だけする」のであれば、やはり"嘘"でしかない。もし大人たちが日々"これらの子供に教えること"を自分自身が実行していたら、一瞬にして、世の中は素晴らしくなっているのではないだろうか?大の大人たちが代々、「子供のために・・・」と頑張ってきたはずではなかったのか?だが、残念ながら世の中は悪化しつづけている。自由・平等・平和・幸福などといったものからどんどん遠ざかっている。子供たちは十数年間も学校に行かされたあげく、卒業してもろくに就職先もない。お金のために働かなければ、生きていけないが、それすらもできない。生きることすらできない。なぜなら、主食であるはずの、米や麦の作り方すら教わっていない。山菜と毒草との区別もつかない。これらは子供たちの責任なのだろうか?子供にサッカーと野球だけ見せて、「将来、何になりたい?」これは、子供の可能性だろうか?全てのものに全ての可能性がある大人たちは子供たちが幸せになる可能性を最大限に求めるべきではないのだろうか?そのための社会づくりを他人任せにし、見て見ぬふりをしてきたんじゃないだろうか?「子供のため」とは一体何だろう?「子供のために・・・」と言いながら、結局は「お金のため」、「己の体面のため」に頑張っていることになってはいないだろうか?「子供のために・・・」と言いながら、結局は"己の残りの人生を、出来るだけ何事もなく、穏便に過ごしたいが為に、子供たちの未来を犠牲に切り売りしている"ことになってはいないだろうか?子供たちに様々な事を押し付けながら、己自身の事は二言目には、「そんなこと~~わけがない。」、「○○だから仕方がない。」全てのものに全ての可能性がある何が正しいのか?悪いのか?己の思考を失い、己の価値観を失い、何のために働いているのかすら見失ってしまったら、もうそれは人ではない。ただの奴隷か家畜だ。子供が無実の罪で投獄されても、戦争で子供が殺されたとしても、「出来ることなら変わってあげたい・・・」と"絶対に変われなくなった状態"で泣いたら終わり。「子供のため」とは一体何だろう?大人たちは子供たちが幸せになる可能性を最大限に求めるべきではないのだろうか?「子供のために・・・」もし、それが本当なら、ただの一歩たりとも社会が悪くなることなど、ありえないばずではないのだろうか?"人は脳で思考している"という前提で考えていれば、「死んだら自分は無くなる」、「死んだら終わり」と思い込むだろう。そして、その死の恐怖に囚えられ続ける限り、さまざまな欲に囚われ、物に囚われ、勝ち負けに囚われ、人に囚われ、社会に囚われ、詐欺師に囚われ、偽預言者にに囚われ、悪魔に囚われ続ける。しかし、もし違ったら・・・もし、人は脳で思考していなかったら?もし、「死んだら終わり」と思わなくなったら?もし、寿命など今も昔も変わらなかったら?自転公転の速度が変化しているだけだったら?生命を維持するために生命を食することは自然な事。「死んだら終わり」ではなければ、性悪説の押し付けも出来なくなる。もし、「全てが自分である」と気づいたら?一瞬にして、世の中は素晴らしくなっているのではないだろうか?・・・なるほど、それはまずいわけだ。http://www.youtube.com/watch?v=QvNWCm1mxzs by 無明はギルティ