人参、大根、パクチーなどの種を蒔き、サフランの球根を植えていました。
もう大根の葉が出てきています。パクチーの芽もチラホラ。

これだけのスペースでも鍬で耕すのは、かなり腰への負担が大きいです。( ̄Д ̄;)
でも自分で栽培して収穫するのは、非常に楽しいので辞められません。

こんなにしんどい田畑や、さらにしんどい武術や格闘技のトレーニングもやってしまいます。

自分がやりたい事をやれる時間があって本当によかったと思います。

自分が本当にやりたい事は”無償”でもやれますよね?

本当に自分がやりたい事や明確な目標が見つかれば、他人の目など気にならなくなります。
また他人と比べて劣等感を感じ、それを自分自身に隠すために必死で優越感を得るための”無駄な作業”も必要なくなります。

もし明日、自分の銀行口座に10億円入るのなら・・・もう会社なんて行かないですよね?
もし働いても会社が給料払わないのなら、もう仕事に行きませんよね?
でももし明日、会社をクビになっても「なんとか生きていけるだろう。」とは思いますよね? 

自分が本当にやりたい事をやっていなければ、もし子供がグレて悪い事をした時に、「いったい何をやっているんだ!!お前の本当にやりたい事は何なんだ~!?」なんて叱れません。(笑)

もし子供たちに「じゃあもう僕たちのことはほっといていいから、お父さん自分のやりたいことして自分の人生成功させてみせてよ?」なんて言われたら・・・怖いですよね?
誤魔化すでしょうか?それとも逆ギレするでしょうか?

自分の人生をより素晴らしくするために目標に向かって日々挑戦している姿こそ、大人が子供たちに見せ続けるべきものではないでしょうか?

怖くて一歩も踏み出せない自分を隠すために「お前たちのために・・・。」なんて犠牲者然とした嘘は、子供には直感的にバレてます。(笑)
まだ社会が日々良くなっててこそ通用するかもしれません。

自分が本当にやりたい事をやって「人生とは素晴らしいんだ!」ということを自分自身が子供たちに見せ続けなければ、様々なことを大人たちから強要される子供たちは日々、嘘をつかれ続けていることになります。

人の能力に大差はありません。ただ出すか出さないかです。勇気と一緒ですね。”既にあるものを出すだけ”です。ただずっと使ってなければ、それは奥の方~~~っにあるので取り出すのに少々時間はかかるかも知れません。

毎日与えられた枠の中で与えられた事をやっていれば、自分の本当の能力を発見することも発揮することも出来ません。与えられた枠から出てこそ、本当の能力のリミットが外れ、また違う世界が見え始めます。

今まで見えてなかったのであれば、何もできてなくて当たり前ですよね。

養鶏場のオーナーが鶏たちに日々「鶏生は冒険だ!自由に生きろ!!」と教えるでしょうか?会社の社長が社員たちに「人生は冒険だ!独立しろ!絶対その方がいい~!」と教えるでしょうか?

物心ついたころから既に、”みんなと一緒”という枠に嵌められ、能力を制限されています。
鶏たちに大きさも味も色も殻の固さも違う卵を毎日産まれたら、養鶏場のオーナーは困りますよね?

「自分にはそんな能力ないよ。」なんて思っていれば、まず自分自身でその能力にリミットをかけていることに気づくべきでしょう。子供には普段なんと言ってるでしょうか?

「やればできるから頑張りなさい。」

辞書に
大人:①嘘をつき続ける人
子供:①嘘をつかれ続ける人

なんて載ってたら悲しいですよね。

そう、やればできます。やらないからできない。やってこなかったからできていない。当たり前ですよね。

やってもできなければ?・・・やり方を変える。
それでもできなければ?・・・またやり方を変える。
いつまで?・・・うまくできるまで、やり方を変え続ける。

そう、いずれにしてもできてしまいます。できちゃうんです!(笑)

いつの間にか”できない”、”できるわけがない”と心の中に刷り込まれ続けていただけなんです。

全ての物事に原因があり結果があります。原因を追求しないと運が善いとか悪いとか言ったりします。

計測器の針がズレていたら正確には計れませんよね。針を正しく調整して初めて正しく計ることができます。
ポジティブになれという話でもありません。ただ不必要にネガティブに傾いていた針を0位置に戻して、曇っていた眼鏡も拭いて、フラットな目線で計らなければ正しい情報は何も得れないというだけのことです。

いつまでもくだらないプライドを握り締めていたら、何も新たに掴むことはできません。
死んだ時に恥ずかしいだけです。

自分の劣等感を隠すために悪人を演ずる必要はありません。
自分の不安を隠すために子供を盾に利用する必要もありませせん。
自分の恐怖心を隠すために怒る必要もありません。
誰かや何かのせいにする必要もありません。

今日も昨日までと同じ自分でいる必要はどこにもありません。

過去の自分に拘り続けているのは他でもなく自分自身です。
周りの誰も「素晴らしくならないでくれ!」なんて頼んでいません。「もっと嫌な人間になってくれ!」とも頼んでいません。
周りの人も素晴らしくなってほしいと思っているはずです。
素晴らしくなったらみんなから喜ばれるだけでしょう。

これからの人生は、これまでの人生の延長線上である必要はどこにもありません。

その一歩を踏み出すのに必要なことは何もありません。勇気を出すだけです。

「あなたも変わってみませんか?」 

「そうかっ!、よーし、わかったぞ~!!」と飛び出していったヤツが車にハネられたかどうかは知りません。

いつかわからんけど・・・つづく