愛着の話 | 還る年の1年前から

還る年の1年前から

日々の記録と思うこと。

先々週に愛着(障害)のことを教わった。


親が与えるものと子どもが求めるもののどうしようもない乖離というのは、人が背負う業のようなものなんだと感じた。言われてみれば当たり前のことだけど、言われてみてはじめて腑に落ちた。


5歳をこえたころに死にかけたことがある。

友だちと遊びに行った先でたぶん生水かなんかを飲み、いわゆる伝染病(腸チフス)になった。


病状は日に日に悪くなる。お腹が痛く、苦しい。

気味が悪いくらい覚えているのだが、

あまりに辛いので、「死んじゃおうかな」と思った。この「死んじゃおうかな」というのは例えば今日は友だちの家に遊びに行こうかな、それとも自分の家で遊ぼうかなというくらい軽い感覚である。


そのときわたしを看病している母親の姿が目に入った。「昼も夜も寝ないで看病しているんだろう。

わたしが死んでしまったらどんなにか嘆くだろう」と思い、「死んじゃおうかな」を引っ込めた。

(5歳の子どもといえどもそれなりに考えるんですね)

それからおそらく2、3日後違う病院に行き、薬が劇的に効いて病は癒えた。


わたしの愛着の土台はご多分に漏れず穴ボコがたくさん空いているんだろうが、受け取りができていたところもあったと思うとちょっとほっとする。