将護的役への想い。 | 大人の麦茶のブログ

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1974(イクナヨ)での豊島大地について。

なかなか書けずにいたのは、どうしてだろうか。
ちょっと深夜に頂いた電話。きっと半秒でかけてくれた電話かも知れない。
その電話で、一つとてもいいアドバイスをしてもらった。
そのアドバイスって耳たこのアドバイスなのかも知れない、自分にとって。
でも、素直に聞ける時とそうでない時があって、、、。

豊島大地で、僕が大事にした事は、感じること、感じるベクトルを色んなところに持って行ってみた。
持って行く必要のないところへも。それは、自分。

矛盾するんです、こうなると。


ドジマちゃんは、自分の事を、どじまちゃんっていったり、俺って言ったりする。
今回、どじまちゃんについて、キャラクターのことで、泰造さんと、結構話をさせて頂いたんだけど、いくら話すより、一度泰造さんが書いた脚本を読むことの方が大切なんだと思った。

短いシーン(時に乱暴な)の連なりで出来て行く塩田ワールド、そのシーンで求められる事をイグザトリー体現出来る必要がありますが、そこに稽古の早い段階でいける俳優が塩田作品では肝になってきたりします。

昔。うん、タオをやった頃は、それが早くに出来た気がする。

で、電話で頂いたアドバイスの話にもどると、やはり余計なものが自身の中に詰まっていると、それが邪魔をする。

そんな感覚を覚えていた僕なのです。


もちろん、今回のどじまちゃんも、バランスの中で僕のできるギリギリのラインだったと思いたいのだけど、満足はやはりどこかでしていなくて。

でもドジマちゃんの中に満ち溢れる感情は、本物で、そこには嘘ないことが、毎回僕の目指すところであったりするわけで。



僕は、台本にあるイメージをすぐにそこに出す事が、何となくのものなのが嫌。
だから出来ないとは言わなかったけど出来ないこともあった。


素直な心が大切です。
思いやりが大切です。
感じることが大切です。



とはいえ
今回、絡みの多かったユースケとは、少しの会話で多くのやり取り出来たんじゃないかと思う。

でももっとそれのスペシャリストになりたい。



今回、大人の麦茶の劇団員として、1杯目の公演が、個人的にも反省の多い公演になった事。

ここに記しつつ、3月から12月に延期と言う形で公演が実現したこと、させて下さった周りの方々、劇場に足を運んで下さった方々に感謝を忘れません。



大人の麦茶の舞台に立ち続ける事が、僕の一生の糧になり続けるよう、いい意味で泰造さんをお客様を周りのみんなを裏切り続けなきゃなんだな。


これからも大人の麦茶を見続けてほしいです。

宜しくおねがいしますべせんにぃー♪♪♪




宮原将護






◎今日のあの時のせりふ


うるさくしないでっ!!!

静かにしないでっ!!!








タオの時の僕の挨拶


28才の日本人、オトムギ2杯目の宮原将護と申します。
今回、濤(タオ)という日本人ではない役を演らせて頂きます。濤は僕の名前で言いますと将護の部分、劇中には出てきませんが、宮原の部分は、彭(ポン)です。
彭濤。
人の名前には苗字と名がありますよね、生まれつきご先祖様から予め用意された苗字に、産まれた時につく名。
人に対してのイメージや感じるものはその人々により各々にある訳ですが、それっていうのはその人の生き方や行動によって創られると僕、思うんです。
産まれた時に思いを込めてつけられる名、名は可能性だと僕は思う。とすると、その可能性は人間が誰でも持っているものですよね。
なんか、苗字でなく名前で呼ばれると妙に嬉しかったり、ドキンとしたり…なにか関係があるのかな…。
僕はこの舞台で、彭濤を生きたい。
皆さんもこの紀伊國屋ホールへ足を運び、劇場の中を生きていますもんね♪
あ。
僕、宮原将護のいちころソングは、「会いたい」です。初めて買ったシングルCDが沢田知可子さんの「会いたい」ですっ(笑)。