現代人のうつの増加は、情報の多さによるものであると私は考えている。
我々が接する情報は、江戸時代の1年分、奈良時代の一生分らしい。出どころは不明確だが、納得感のある説だ。
大量、かつ鮮明な情報に触れ、その処理に頭脳労働を強いられるだけでなく、感情を動かされまくって、感情労働で消耗するのだ。


さらに、われわれ日本人の多くは、「きちんと調べて、客観的な思考をする」ことを子供のころから教えられてきた。情報がない時代には重要なスキルだが、以前は求めようと思ってもなかった情報が、今は探せばどれだけでも手に入る。


いわゆる、真面目に、勤勉に、真正面から、全ての課題に取り組もうとすると、自然に情報を追うことになる。私はこれらのいわゆる「よい子」のメンタリティを「子供の心の強さ」と呼んでいる。そしてこのスタイルではどうしてもオーバーワークになりやすい。


また、特に不安なときに人は情報を求める。何らかの不安がある時、自分なりに落ち着くための情報を求め、それを信じる。信じることが安心につながるので、陰謀論や宗教にも批判力がなくなる。まじめで頭もいいのに、だいぶずれたことを信じてしまう人がいるのもこのせいだ。

それなら、情報に触れなければ良いということになるが、それができる人とできない人がいる。
曖昧さに耐えられるかどうか、ということだと思う。


不安なときでも、何らかの情報を求めて、自分なりに安心する(まとまる)のではなく、落ち着かない状態、まとまらない状態、曖昧な状態でも、日常を過ごしていけるメンタリティが必要になる。


これが私が提唱している「大人の心の強さ」だ。


大人の心を持つ人は、世の中の本質は、混沌として変化しやすく、いくら情報を求めても探しきれないことを知っている。いわゆる正解や真実はないということも分かっており、その不安定な環境の中を、「仮置きの自分」で進んでいるという自覚を持てている。つまり過剰に自分を信じず、過剰に社会に頼らず、過剰に未来を不安がらず、逆に言うと寛容に過ごせるメンタリティーだ。


大人の心の強さは、子供が社会でもまれて、少しずつ身に着けるもの。子供の心の強さを否定するものではなく、子供の心の強さに付け加えるものだ。いずれにしても、バランス感覚や価値観の整理や反応の練習が必要になる。興味のある方は、「感情のケアプログラム」をのぞいてみてほしい。

<お知らせ>
〇2023年8月17日、フォローアップ講座を開催します。テーマは怒りのケア