私は昔から、ちょっと変わった人に好かれやすいところがある。

周囲からはちょっと孤立している人、ちょっと嫌われている人に、なぜか好かれるのだ。

 

父も同じだと聞いたことがあるので、どうも性格的なものらしい。

カウンセラーとして自己分析すると、「どうしても許せない」という尺度が結構緩いようだ。

 

この性格は、ありがたいことにカウンセラーとしてはいい方向に働いている。それだけではない、いろんな新しい情報に触れる機会になることもある。

 

先日もあるテニスの仲間から良い話を聞いた。その人はテニスはうまくて実績もあるが、昔コーチ業をしていたせいか教え魔なところがあり、みんなから敬遠されている。でも、なぜか私にはとても親しくしてくれる。

 

その人が言うには、昔は下手な人のほとんどが、自分の運動神経の癖が原因だったが、いまはちがう。今は、Youtubeなどで学んで、そこで自己流の癖をつけて、下手になっている人が半分はいるそうだ。

 

昔の人には、正しい方向性を説明すれば、素直に従い上達した。しかし、今は指導しても「でも〇〇さん(youtuber)はこう言っている」と、頑固に悪い癖に固執するらしい。

 

実は、同じことをクライアントにも感じていた。

クライアントの多くは、自分で悩みを解決したくて、心理学や自己啓発、宗教などの様々な本を読んだり、サイトで学習する。

 

それが、その人の生き方を楽にしていればいいのだが、私からすると、その教えを守っているために、逆に苦しい生き方をしている人が多いのだ。

 

テニスと同じように、そのことを指摘しても、「でも、○○(心理学者等)はこう言っていますから」などと、抵抗する。

 

クライアントは、社会の問題に対して悩んでいるのだが、より詳細に分析してみると、「自分ルール」によって勝手に悩みを大きくしている人がかなり多い。

 

「どこかで学んだこと」が、その自分ルールを増やしただけ、になってしまっていることが多いのだ。

 

いろんな心理学知識がいたるところで簡単に学べるが、それは決して魔法ではない。

上手くいくこともあるが、そうでないこともある。状況によるのだ。なのに「魔法」や「公式」のように扱ってしまう。

 

もちろん本人も、その知恵だけではうまくいかないことはある程度の生活をすれば自覚できるが、それでもどこかで「このことは忘れていはいけない大切なことだ」と、その教えを無意識に大切にして、窮屈な生き方を続けてしまっているケースが多い。

 

私たちは、論理的であることを学習してきた。そして何かを決めるときもデータや根拠に基づくことが科学的だと教えられてきた。ただ、悩みにもそのパターンで対応しようとするとき、本やネットで仕入れた心理学の知識を、データや根拠として扱ってしまいやすい。

 

判例や法律を示したり、過去の研究を根拠にして推論するのは良いのだが、巷にある心理学の知恵を「根拠」にしてはいけないのだ。

 

大御所である、フロイトやロジャース、アドラーなどの言葉であっても、それはその人たちの心理療法の「コツ」でしかなく、真実ではなく公式でもない。だから、どれだけ深く学んだとしても、「根拠」にはならないのだ。

 

重要なのは、現実を見ること。つまり、自分の現在の行動や心理をよく観察することだ。現実をよく観察していると、あるルールやその人なりのコツが見いだせる。先人や賢者の言葉はその作業の「ヒント」としてありがたく活用したい。

 

自分もたくさんの本を書き、様々な発信をしておきながら、言うのは申し訳ないが、いや、発信しているからこそ言えるのだが、「賢者の言葉や本を、決して鵜呑みにしてはいけない」。重要なのは観察なのだ。

 

先日もその(昔)コーチからアドバイスを受けた。一般的なテニスコーチのアドバイスとは違うが、私の現実を見てくれてのアドバイス。素直に従っていると、私のテニスも少しずつ形になってきている実感がある。

 

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「うつの人にはこう見えている」が3月31日秀和システムから発売されました。イラスト満載でとても分かりやすい本です。