このところテレビや講演で視聴者、受講者などから質問を受ける機会が多かった。
カウンセリングで質問を受けた時には、ある程度適切なアドバイスができているという自負がある。ところが放送や講演の時の回答の後は、かなり一人で落ち込むことが多い。実際質問した人は私の回答にある程度満足している様子ではあるが、私自身が納得出来ない部分があるのだ。
カウンセリングで質問されたときは、クライアントの背景をよく聞いた上で、私のアイディアを、クライアントが受け入れられそうな内容や表現にして、ひとつの提案として回答(アドバイス)する。私は、相手が納得する理屈を「相手理論」と表現している。
これに対して、アドバイスの下手な人が陥りやすいのが、「自分理論」の押し付けだ。自分理論とは、自分にとって納得できる理論。しかし相手にとっては、まだ話していない部分や相手自身の能力・性格、置かれている状況などから、提示されたアドバイスが、「正論かもしれないが、とてもできない」と感じることが多い。相手を助けたいという思いが強ければ強いほど、自分理論を押し付けがちになるが、相手はどんどん苦しくなる。
上手なアドバイスとは、援助者なりのヒント、つまり自分理論を相手が受け入れられるような相手理論に、上手に加工したものなのだ。
カウンセリングでは、この加工をする時間とプロセスを確保できる。
ところが講演の質疑応答などの限られた時間の中では、このプロセスを追うことが難しいのだ。
また、放送や講演などでは、たとえ質問者の詳しい内容を聞ける時間があったとしても、その個人が満足する「相手理論」を回答として提示することが、必ずしもふさわしいものではないことが多い。
質問者は満足しても、他の視聴者や聴講者が混乱するような回答ではいけないのだ。講演などの質疑応答は、個別相談ではなく、話題提供の要素が多い。視聴者は、質疑応答のやり取りを聞いて、講演内容をさらに深く理解するのだ。そんな多くの方に参考となるような回答を出すためには、自分理論を相手理論ではなく、一般理論に加工する。一般理論とは、多くの人に理解できるような理屈。一般理論の回答は、質問者にはややピント外れになるかもしれないし、質問自体に対しても、ちょっと薄まった、切れ味の悪い答えになってしまいがちだ。
これらが私の不全感の原因なのだ。個人にもキチンと答えてあげられていない。皆さんに対しても、一般論しか提供できない…。
ただ、こうやって整理してみると、これは、放送や講演などでの質問に答えることの限界ではないかとも思い、自分を慰めてみる。むしろ自分は、ほかの人に比べて、かなりエッジの効いた答えを提供しているという自負はある。
ぜひ、皆さんも、識者が提示するアドバイスなどについては、このような限界があることを理解し、「参考程度」のものであると受け取っていただきたい。