こんにちは、石畳ネコです。




先日古い『アダルト・チルドレンと家族』(斎藤学著)を引っ張り出して

アダルトチルドレンの回復について見返しました。



①AC自覚の獲得とそれに引き続く安全な場の確保

②嘆きの仕事

③人間関係の再構築


(『子どもを生きればおとなになれる』(クラウディア・ブラック著)

では上の②.③がより具体化されたような、4つのステップが紹介されています。


ステップ1=過去の喪失を探る

ステップ2=過去と現在をつなげる

ステップ3=取り込んだ信念に挑む

ステップ4=新しいスキルを学ぶ)




その中の、嘆きの仕事、、

今までの人生の喪失を探る作業。

過去に失われたもの、

あるいは与えられなかったことを

振り返りちゃんと嘆き悲しむこと。

そこにある傷を認めること。

「私のストーリーを語ること」でグリーフワークが進んでいくと斎藤学先生の本にありました。




途中激しい怒りに襲われて親を○害したくなったり

いやいや、こんなことを思うのは甘えだと

逡巡したり

遠回りしながら進んできた気がしますが、




過去を嘆く自分を躊躇せず受け止められるようになったのは、

人を受け止める話の聞き方とか、新しいスキルを身につけて「心を観察する大人の自分」(クラウディア・ブラック本によるところの『インナー・アダルト』)が育ってきてからな気がします。




あとはモラハラや、子どもの人権、人の尊厳、トラウマによる反応などの知識を得てからやっと受け止められるようになった過去もあります。

その前は完全に自分の味方になるのがまだむずかしかった。





小さい頃親に話を聞いてもらえなかったことで、誰にも話せないまま抱え込んできた気持ちや傷つきがたくさんあります。




幼稚園の時は毎日お稽古ごと、小学校では帰ると毎日母の話を聞かされる。

八百屋さんの話、弟とお絵描きをした話、親戚の話、、

ずっと聞いてもらえないのでおうちでは自分のことは話さず、友達や日記が話し相手でした。




母は自分が話を聞かないのに、小学校低学年の担任の先生に「うちの子は何も学校のことを話してくれません。」とたびたび連絡帳に書いて伝えて、

そのことについて先生からは注意され、モヤモヤ理不尽な気持ちが残っていました。




小学校4.5年の頃は、友達に無視されたり辛辣なことを言われて落ち込んで、つい母に言ってしまったら

「友達に期待するからいけないのよ!あなたはともだちに期待しすぎなの!笑」

となぜか嘲笑されたこと、、

親から二次被害を受けてさらにぐちゃぐちゃになった気持ちのまま、記憶に残っていました。




そんな感じで30-40年たってるのに「悲しかったよー」「わたしを見て」とその時の感情の記憶がつぎつぎ出てきます。

それを大人の自分が、それはひどいね!嫌だったね。悲しかったね。とうけとめる。




親が自分にした扱いについて愚痴ることも、回復のグリーフワークとして大事な気がしています。




たまになんで私こんなに過去のことばかり振り返ってるんだろ?と思いますが

アダルトチルドレンの回復の大事なプロセスとして、ずっと放置されてた気持ち達を受け止めて行こうと思います。


さるすべりと秋の空