こんにちは。
昭和メイクから令和メイクへ
時代と年齢に合ったメイクの専門家
青谷亞希(あおたにあき)です^^
modelbank
はじめましての方にも
改めましての方にも
ちょっと恥ずかしいのですが、
私のこれまでの壮絶人生ストーリーを
書いてみたので、
少しでもお役に立てれば嬉しいです💕
まずは、
自己肯定感が低い幼少期から
癌罹患までの人生ストーリー
生まれは沖縄、育ちは横浜
学校では大人しく
クラスでも目立たない子でした。
特別に優秀なわけでも、
運動神経がいいわけでもなく
自分には何の価値もない。だから、他の人より努力
しなきゃダメなんだ。。。
そんな風に考える
とにかく自己肯定感の低い子供でした
【がんばらない自分は価値がない】
学校を卒業して
派遣コーディネーター
の仕事に就きました。
そこでは、毎日朝から終電まで働いて、
(終電に間に合わないこともそっちゅう)
たまの休みもトラブルで呼び出されたり、、、
クライアント、上司、スタッフ
からのプレッシャー。
やってもやっても終わらない仕事に、
ミスの連続の負のループ
体力的にも精神的にも
限界に達していました。
離職率も高く、鬱になったり、
突然会社に来なくなる人も
多い職場だったのに、
ここで逃げたらダメだ。そんな自分には価値がない
と、
心も体もボロボロにしながら、
働き続けました。
それは、
がんばらない自分=価値がない
という自分の思い込みに
縛られていたんですね
「状況を変えられない。」
「ミスをしてしまうのは自分のせいだ。」
と、自分を責め、酷使し続けました
【大病をして、生きる意味がわからなくなる】
その結果、
取り返しのつかないことに
なってしまいました。
私は自己免疫疾患の
難病をこじらせ、
病院に行った時には、
倒れる寸前で、即入院。
仕事は辞めざるをえませんでした。
病状はどんどん悪くなって、
自分の体が思うように
動かなくなってしまいました。
仕事も恋人も失い、
大好きだったダンスも
出来なくなってしまいました。
人と会うのも嫌になって、
自分の情けない姿を家族にすら
見せたくなくて、都内で孤独に
一人暮らしを続けていました。
病院と治療院を往復する日々。
貯金も底をつき、
生きている意味もわからなくなって、
このまま消えたい。
そんな気持ちで日々を過ごしていました。
その後、再就職するも
今度は癌を発症。
ステージⅢb。
5年生存率は40%以下。
大きな手術を4回繰り返して、
抗がん剤治療もしました。
辛い治療が続いて、
髪はボサボサ、肌はガサガサ
と劣化していきました。
自分の姿を見るのも嫌で
引きこもりがちになりました。
【家族や友人の愛情に触れ、生きることの価値を再認識する】
死を身近に感じながらも、
「なんとかして回復して欲しい」
「ただ、生きてて欲しい」
と願う家族や友達の愛に触れて、
自分には生きているだけで価値がある
ことを実感しました。
そして、
「このままでは終わらない。」
「絶対に生き抜こう!」
そう心に誓いました。
次回につづく↓↓↓
人生どん底からメイクコンサルタントになるまで/人生ストーリー(2話)
ここまで読んでくださって
ありがとうございました💕