ぼくたちはここにいる -3ページ目

ぼくたちはここにいる

つながりたいのに、つながることができない気持ち。
そういう気持ちをどこかで拾ってくれるぼくたちが、ここにいます。

《昼の記憶》


 あれは五月晴れの日曜日だった。

「午後から散歩にいこう。」って、颯(そう)から誘われる。

 四時にみなとみらいで、映画の約束してたけど。高校の同級生だった勝也と。

 もちろんドタキャンした・・・。(ゴメンね。)

 十二時半に石川町駅で待ち合わせして。

 夜の仕事じゃあり得ない、セシルマクビーのチェリーブラッサムシャツと、

エドウィンのヴィンテージGパン。 レザーのチャームがワンポイントのショートブーツで決める。

 あたし、五分前には改札にいたんだけど。  

「わりい。ハムスターのゲージを掃除してたら遅くなった」

 って、十分遅れの野郎がボサボサ頭を掻いている。

 おそいよ! 颯は、アンナより、

「ハムスターなわけ?」

 したら、

「クラブグレースの一番が、そんな野暮をほざくな」

 と、小突かれる。まあ、颯のこういう冷めた温もりが好きなんだけど。

「いくよ、アンナ」
 勢いわずかに離れた体の距離を詰めて、彼はあたしの肩を抱いた。 男の手ってこんな重かったっけ。

「さんざん店でされてるじゃんか」

 こんな風に、と、颯は回した腕に力をこめた。


      *


 木漏れ日が踊る外人墓地の小脇の石段。ネオンに慣れちゃったあたしには少し眩しいよ。

 山手の丘に上がると空に少しだけ近づいた感じがして、

「夜の風は優しいけど、昼間の風は暖かいね」

 って謳(うた)う。

「わかんねえ」

 と、颯は首を傾げた。洒落たフレーズを思い付いたつもりでも、アンナの口から零れると

なぜか鈍臭くなるって。あたしの浸る趣(おもむき)をピシャリとディレートする感じで。

「でもさ、それこそお前が店の一番になる魅力なんじゃん? 刺の無い薔薇みたいでさ」

 それから、アンナは下手くそな吟遊詩人だ、と、颯は笑った。

ギンユウなんとかの意味が分からなかったけど、あたしも笑った。


      *


 港の見える場所まで歩いて、颯が急に黙っちゃったから、何を考えてるの?って、尋ねたら、

「夜より昼間のアンナのほうがいいぞ」

 って、ぽつり呟く。

「颯、あたしにホステスを辞めてほしいのかな?」

「ばーか。だからお前は野暮天だっつうの」

 と、今度はわりとマジ冷たい感じに調子を変えた。

 ベイブリッジの下を大型客船がゆっくりとすべり抜けていく。


      *


 外国人の子供たちが手を繋いで、真上から差す陽光の中で戯れている。

 すれ違いの親子連れに尋ねると、坂道を少し下った場所にある“山手インターナショナルスクール”で

チャリティバザーをやっているらしい。

「覗いてみようか」

 颯があたしの手を引く。

「へえ、意外だな」

 そういうのに興味持つなんて。

「いつかさ」

 と、颯は未来の夢を語り始めた。

「金持ちのお屋敷の図面をひくのは性に合わねえし。発展途上国の学校とか病院とか、設計したいって

思ってる」

 困っている人の助けになるんなら、俺はバザーで穴の空いた靴下でも買うさ。



《夜の記憶》


 漫(そぞ)ろ雨に客の引けが早くて、グレースのママが、

「梅雨入りじゃけえな」

 と、気を許した相手にだけ出る岡山弁でこぼした夜。

「アンナ、わりいけど上がってくれる?」

 って、手を合わされた。ちょうど日付が変わる頃だった。

 駅に続く大通りの時計台。その足元を丸く囲んだ縁石の上で、華奢な男のシルエットがぐたっている。

濡れ雑巾みたいに、ぺちゃっとしわんでる。じめった空気に存在そのものが溶けかかっているように。

 それを彼と見分けた瞬間、あたしの喉奥はテキーラで焼いた感じにキュッと燃えた。  

 勝也と携帯で喋ってたけど、「後でかけ直す!」ってぶち切りして。(ゴメンね。) 
 とはいえ、素直にシッポ振ったりは出来ない性質(たち)で。長く水商売やってナンバークラスとか続くと、

男に色目を使うようなアレは自ずとプライドが許さない。

 だからぶっきらぼうだけど、あたしはエルメスの傘をさり気に差し出した。

 すると颯はとろんとこっちを見上げて、ワンカップを仰ぐ。

「いらねえよ」

 酒飲みだけど、飲まれた彼を見たことはない。こんな、目が据わるほど酩酊するザマはない。

あたしは正直ちょっと呆れた。

「もう、酔っぱらいめ」

 って、ハンドタオルでよれたジャケットの肩を拭いてあげようとする。

「だから、いらねえっつうね」

 颯は声を荒げて、あたしの手を払った

「消えてくれ……」

 そんな……。

「ひどいじゃん」

 タオルにプリントされたミッフィーが浅い水溜まりの泥に汚れる。

「同情も共感もすんな」

 施しは嫌いだ、って……。

 だってあなたは、あたしにとって大切な人なんだから。ホステスと客って関係以上だよ。

「こんな颯を目の前にしたら、あたし心配するよ」

「面倒なんだよな。そういうの」

 もう行けって、行っちゃえって! と雨色に黒ずんだ歩道に、颯はうつ伏せに倒れた。
 
     *


 しばらく颯に雨宿りをさせていた。

あたしの膝の上で眠っている寝顔は、酔っぱらいのそれではなくて、あどけない少年そのものだった。

「ねえ、このままいっしょに溶けちゃおうか?」

「だから……消えてくれ……」

「あれ? 颯、起きていたの?」

 少年の鼻先を覗きこむと、彼はまだ柔らかい寝息を立てている。


      *


 それからしばらくして颯をタクシーに押し込み、あたしも部屋へ戻った。

久しぶりに雨は上がって、東雲(しののめ)の空はレモン色に滲み始めていた。

FM横浜をつけたら、ユーミンの『ノーサイド』がかかっている。

リプトンとタカナシで入れた熱いミルクティーをすすると、すぐに意識が朦朧としてきた。


― なにをゴールに決めて、なにを犠牲にしたの 誰も知らず

 歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていたあなたを少しでもわかりたいから 

 人々がみんな 立ち去っても私 ここにいるわ ―


 なんだか夜明けに合うな、彼女の声。

 眠り瞼の隙間から涙が溢れた。



(下)につづく