ぼくたちはここにいる -2ページ目

ぼくたちはここにいる

つながりたいのに、つながることができない気持ち。
そういう気持ちをどこかで拾ってくれるぼくたちが、ここにいます。


《再び昼の記憶》


 さすがに穴の空いた靴下は買わなかったけど。あっという間に使い道不明の謎に満ちた品々が、

新オーナー様に引き取られていく。エントリーフィーと交換で渡されたエコバッグ一枚じゃ裂けて

しまいそう。
 いい加減疲れて、お腹も減ったし、ブースカぼやき始めたら、

「じゃあ、食べいこ」

 いいとこ連れてってやる、って。 
 タクシー拾って、八幡町ってとこまでワンメーター。

 その街角は映画のセットかなんかと信じてしまうくらい、ひっそりとしていた。

「あたし、はじめて来た」

「ああ」

 都会の真ん中に、“まーるいこんなヤツ”を被せたみたいに、人が寄って来ない過疎地だと、

颯は説明を加えた。

「まあ、昔、俺んちにあった食卓用の虫よけネットみたいなやつだな」

 と笑う。

 あたしは、ふーんと頷いてみせたけど、正直良く分からなかった。


      *


 車を降りて、あたしたちは「磯田屋」という古ぼけた店の暖簾をくぐる。

 お世辞にも清潔とはいえない下町の没風流な店構え。雑然としている。手洗いの戸さえ、

冷蔵庫に塞がれていて使えない。聞けば、「トイレはコンビニで拝借」なんだと。

八十路にはかかってんだろうな、でもピンピンと小気味いい老夫婦が切り盛りをしている。

おばあちゃんはヘラをぶん回して焼きそばを炒めたり、おでん鍋に具を足したり。

おじいちゃんは給仕にまわって、小狭いとはいえ満席の客に水を出したり、ドリンクの注文に応えたり。

「良い店だろココ?」

 って、颯は、ニコニコとしてるけど……。

「なんか……たしかに懐かしい感じだよね」

 と、苦笑い。そうとしか答えられない。

「だろ?」

 なのに得意気だ。

 でもさ、

「何でココに?」

 せめてファミレスかなんかと思ってたわけだしね。

「あれが病みつきなんだ」

 と、颯は、壁に貼ってあるメニューを指差す。

『焼きそば、肉+玉子+ポテトのせ、大四〇〇円。かき氷各種……』

 模造紙に、マジックペンでひょひょいと書きつけられている感じの。

「それにアンナは、ふだんイイモンばっか食わしてもらってるから、たまにはこういうのも……」

 まあそういう演出が分からないわけじゃないけど。それにしても随分安くあげるわよね。
 

     *


「ここの老夫婦は、俺の親に似てるんだ」

 注文を済ませると、颯は急に湿っぽくして、訥々(とつとつ)と語り出した。

「本当の両親は物心も付かない時に俺を捨ててな、俺はじいちゃんとばあちゃんに引き取られた」

 だから、自分にとって、養ってくれた祖父母が親なんだと。

「じいちゃんは一昨年死んで、ばあちゃんは今、熱海の養老院で暮らしてるけど」

 祖母への見舞いは、毎月欠かさないらしい。

「本当は、一緒に暮らしたいんだけどな」

 と、颯は氷水をぐいと流し込んだ。 
 あたしはちょっぴり自分が嫌になる。

 こんなみすぼらしい店、って、颯のセンスを疑うなんて。ちっぽけなのは、あたしの心の方かもしれない。



《目ざめの記憶》



 昼ごろ颯からメールが来て、浅い眠りから覚める。 

 昨夜の雨に当たって体が冷えたのか、かすかに喉が痛い。

「あんまり覚えてないんだけど、なんか、アンナを傷つけたよな俺」

 いいよ。べつにいい。

「だけどね、昨日の颯は怖かった」

 本音は“怖い”ってゆうのとは違う。でも複雑で、もどかしいこの気持ちを、

出来るだけしおらしくぶつけたくなって、そういう言い方にまとめて返信しだ。

「……ごめん。滅入ってたんだ。俺の設計した新築で、幼児がロフトから転落してさ」

 クライアントの要望に折れて、ロフトの柵を浅く見積もってしまった。

自分の仕事ぶりが不甲斐ない。颯は、悔恨している訳をせつせつとあたしに訴えてくる。

きのう否定したはずの「同情」や「共感」を、まるでしてほしがってるようなもんだわ。

「俺は……、俺は、金持ちん家(ち)の、恵まれた子供さえも守ってやれなかった」

 かすれてほころび始めたあたしのなかの何かに、この人はちっとも気付かない。 

 もうそのメールには、返信を打たなかった。

 まだ眠いから、もういちど毛布を被った。



《再び夜の記憶》



 それ以来、颯からの連絡はぷっつりと途絶えてしまった。

 日を置いて、何度かこっちからメールや電話もしたんだけど……。

 夏が過ぎた頃、あたしは勝也からプロポーズを受ける。

勝也は平凡なサラリーマンだけど、昔からのアレだし、分かりやすい人だから、あたしには居心地がいい。

デートで「磯田屋」のような店には、決して連れて行こうとはしない。

たいていホテルのレストランとか、お洒落なカフェとかを企画している。

新鮮味はないかもしれないけど、やっぱりあたしにはその方が無難かなって、

徐々に考えられるようにもなってきた。

 十月に結納を交わし、十一月に入籍を済ませる。

 そして暮れ。水商売と別れを告げる日も決まる。

「颯君には、ぎょーさんようしてもろうたから、呼んであげなしゃあ」

 ママと二人でクリスマスツリーの飾りつけをしていたら、そんな感じに水を向けられたもんで、

「突然だけど、あたし結婚したよ。今月で商売も上がるからね」

 って、つとめて明るい口ぶりで、颯の留守電にメッセージを残した。


    
《今となり》

 


「ネパールの子供たちに学校を。新鋭建築家の挑戦!」

 そんなタイトルだったかな、この前、週刊誌かなんかの記事を目にしたの。

懐かしい「少年の顔」が写っていて、あの夜みたいにキュッなったよ。

もともと線の細い人だったけど、体が干上がってしまうくらい汗を流しているのかな。

「また少し痩せちゃった?」って問いかけたら、「うるせえ!」って噛みつかんばかりに、

グラビアの彼はプロジェクトに賭ける夢を熱く語っていた。

 今となってあの頃の記憶を辿るのは、そんなこともあったから……。

 まあ、たしかに平凡な主婦してるし、ときどき夜の時代が羨ましくもなる。

 勝也に理不尽な当たり方をすることだってしばしば。

 けど、一歳の息子に母乳をやりながら、鼻歌でも歌ってる時、

やっぱり「昼のあたし」の方が心地いいかって、心底思う。


      *


 お勤めラストの日、

「『結婚したから』って。それ営業のやり方としてどうなん?」

 と、疎遠を詫びがてら顔を見せた颯が、グラス片手にあたしの肩に手を回した。

 でも、もう違っちゃってる。その腕の重たさを感じることは出来なかったから。

 薄っぺらな頬笑みを浮かべて、彼の横顔をじっと見つめるだけ。

「めでたいけど、なんだか淋しくなるよなあ。夜の街からアンナがいなくなるのは……」

 なあんて侘(わび)しがるあなたは、夜のあたしより昼間のあたしの方が良いって言ってくれたでしょ?

「そうだっけ?」

 そんなことゆったっけ? と唇を尖らせ、小指の先で眉間を掻く。

 はたと、

「ああ、ああ、あの時か!」

 ソファの縁から無遠慮に投げ出されていた腰を深く掛け直して、彼は小膝を打った。

「なあ、アンナ、また『磯田屋』に行こうよ?! ダンナに内緒でさ」

 妙案が浮かんだとばかり、颯はニヤリと笑んだ。悪びれた様子もない。

 あたしは、しなやかに伸びていた彼の腕を、ドレスの肩からそっと除ける。

「ねえ、テキーラを頂いてもいい?」


      *


 ツリーのイルミネーションがぼんやり滲んで、確かこんな感じに袖の別れをした夜だったっけ……。

 子供が泣き疲れて眠ったから、その傍ら午後の陽だまりの中であたしも安らかなうたた寝に落ちた。
 
 
(了)