オトナのための教養キソ10 雑草は踏まれたら立ち上がらない 先入観から逃れることのむずかしさ | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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『雑草はなぜそこに生えているのか(稲垣栄洋)』
「雑草は踏まれたら立ち上がらない」
でも
「雑草は踏まれても踏まれても、必ず花を咲かせ種子を残す。」
「踏まれても踏まれても立ち上がるやみくもな根性論よりも、ずっとしたたかで、たくましいのである。」

この本は驚きの連続でした。
常識というものがどれだけいいかげんなものか、先入観の塊であるかを思い知らされる本です。
私たちの目は見ているはずなのに見ていないのです。
 
もともと雑草は定義できないものだそうです。
分類は人間の都合でしかないのです。
 
それでも
「雑草」と呼ばれる共通の性質があると言っています。
「雑草は、競争を避けて撹乱のあるところに生えるというのが、生存戦略だ。」

つまり
雑草は人間が自然を壊した所に適応した植物だということです。
他の植物が進出する前にはびこってしまうというわけです。
しかし、適応しすぎていて
雑草は人間が自然を壊した所でしか生きることができません。
隙間で生きる大変弱い植物です。
 
ですから
自然が回復すると真っ先に排除されてしまいます。
 
弱いのにたくましい。
そこには矛盾があります。
何故だろうか?

植物は意志をもたないはずなのに
雑草は我々が進化論や生態学の常識だと考えていることからすると
平気で掟破りをします。
まるで計算ずくであるかのように。
その巧妙な生き方は驚くばかりです。
「雑草とは、いまだにその価値を見いだされていない植物である」ということもできます。
詳しくは本文を読んでください。
 
最後に稲垣さんは
自分が雑草の専門家を目指したのに
研究者としては雑草に直接関係のない道を歩いてきたこと。
だから
本当の専門家になれた。
 
そして
現実の生き物(動物・植物)では
平均値が普通なのだとしたら「普通」というものは存在しない。
「普通とは幻の存在なのだ」
と「普通」という考え方に対する疑問をもつところに興味深さを感じます。