オトナのための国語キソ12 米国でディベートが求められる特別な事情 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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最近、日本でもディベートが盛んになってきています。

学校でも行われ、公式の大会も行われている教育ディベート

社会人を対象にした訓練もあります。

多くの場合、ディベートと言えば「教育ディベート」を指します。

 

教育ディベート(競技ディベート)はルールに基づいた競技で勝敗の判定をします。

現在、世界各地で行われている教育ディベートの多くは、英国と米国の学校教育のなかで、それぞれ独自に発達してきたものです。

特に、日本で行われている英語での競技ディベートは、米国スタイルが基本になっています。

 

競技ディベートについてよく知っている人、実際に公式の大会に参加するためのトレーニングをしている人であれば、目的や方法について戸惑うことはありません。

米国式の競技目的は一言で言えばルールに従って「言い負かした者が勝ち」ということになります。

 

そもそも、ディベートはどんな目的から始まったのでしょうか?

まず

国語辞典や英和辞典の大多数が

「討論」を「debate」の訳語としながら「ディスカッション」を「討論」と同じに考えるなど

混乱した使い方がされています。

 

もともと

ディベートの目的は「討論」にあったのです。

法令上では公職選挙法261条の2や社会教育法5条における「討論」がこの意味で用いられているとされています。

つまり

「討論」は表決が必要な議題のために(委員)が賛成又は反対の意見を表明することを指します。

賛成・反対のどちらに投票させるかのための手段なのです。

 

それに対して「ディスカッション」は正確な定義はありませんが

実際の使い方から考えると

「それぞれの意見を出し合ったり、共同作業を行ったり、グループとしての意見をまとめる」といった

議論の勝ち負けではなく「成果」を求めることを意味しているようです。

つまり

賛否ではなく協調を求めるものです。

 

このように日本でははっきりディベートの目的がよく分かられていない状態で

米国で盛んだからといった理由でディベートを受け入れています。

 

米国で「ディベート」を重く見るのは裁判のあり方とのかかわりがあります。

日本の訴訟では文書主義といって

特に、刑事裁判では文面での調書を検討することで真相を明らかにする方法をとっています。

どちらかが要求しないかぎり

もともと討論を必要としない仕組みです。

 

米国の訴訟では

双方の証言を検討することで判定をする仕組みになっています。

言い負かした方の勝ちということです。

「言葉での決闘」と言い換えることもできます。

特に陪審員裁判が基本なので陪審員の支持を勝ち取った者が勝ちとなります。

 

刑事裁判ではほぼ間違いなく被告が犯罪をおこなったと推定できる場合でも

揚げ足取りで裁判自体が無効であるという判断がされることがよくあります。

よくある理由が

捜査で被疑者に強制があった、証拠の手に入れ方が正しくなかった などです。

 

日本のように(刑事)裁判の目的が真相を求めることにあれば

手続きに問題があっても事実が明らかであれば

裁判官と裁判員が事実が間違いないと判断すれば

よほど違法な捜査でなければ裁判自体を無効と考えることはないでしょう。

 

米国には政治家の出世コースがあります。

まず、州や大都市の検察官になり重大な犯罪を裁くことで名を上げます。

巨悪と闘うアメリカンヒーローを演じるわけです。

そして

その名声を使って

州から連邦の下院議員や上院議員に立候補するか、大都市の市長に立候補します。

当選して国政や行政で自分の力を示して

あわよくば「大統領」を目指すのです。

 

お分かりでしょうか

米国ではディベートがそのまま出世と結びつくのです。

そのことを分かっていないと

なぜ「言葉での決闘」が成り立つのかという根本的な所が欠けてしまいます。

その根本が欠けていればディベートは机上の争いになってしまうのです。

 

次回は、米国での特別な事情と関係なくディベートが成り立つための条件を考えます。