親の「懲戒権」は自然権(不可侵)か? 民法改正をめぐって | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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令和4年12月10日、民法等の一部を改正する法律が成立し、同月16日に公布されました。

改訂民法では懲戒権に関する規定が削除され

代わりに、子の監護と教育における親権者の行為規範として「子の人格の尊重と体罰などの子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動の禁止」が明記されました

 

当然、保護者の懲戒権が廃止されれば

学校での懲戒権も見直しされるのが当然です。

これまで「特別権力関係」という法理で教員(学校)は部分的に親権を代行できるという解釈があり

学校での懲戒には親権代行(親代わり)という考え方がありました。

もともと、わたしは学校の懲戒権が親権代行に基づくものであるという解釈には批判的でしたが。

わいせつ教師を糾弾する前に 日本では教員と生徒の間の歪んだ法律関係があります

 

懲戒権は学校教育法11条では

『「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる」、として、学校(学校長)に認められており

子どもを社会において有為な人間に育てていくために欠かすことのできない規定』

とされています。

 

体罰・虐待を正当化する口実に…子への民法「懲戒権」見直しへ

 

「親権」の中の「懲戒権」が廃止されるとなると

学校でも行政処分としての「懲戒」は残っても

(運転免許の「免停」と同じ理解です)

「懲戒権」を「親権」の代行として理解することは出来なくなります。

 

ただし

親の「懲戒権」については「自然権」という主張があります。

「自然権」とは人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より、保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利です。

つまり、法律のあるなしにかかわらず人間がもっているものです。

 

自然権から「懲戒権」をとらえると次のような理解になるのでしょうか。

 

※民法822条「懲戒権」の廃止・改悪を許すな!

 「児相被害を撲滅する会」サイトよれば

『「教育権」とは、親が「子どもの福祉」の具体的内容を「最終的に解釈する」権利です(横田光平『子ども法の基本構造』信山社、230頁)。

ドイツ基本法(憲法に相当)第6条2項は、「子の監護および教育は、両親の自然的権利であり、かつ何よりも先に両親に課せられた義務である」として、親の監護教育権を、親の自然的権利と認めています。

それゆえ、この教育権の解釈中には、当然子の福祉ないしは子どもの権利条約がいう「児童の最善の利益」を念頭に置いた「叱る」という懲戒行為も含まれていると理解すべきです。

そして、このような親の子に対する「教育権」は、「自由権」として、基本法6条1項により「国家介入から保護」されるべきとされているのです。』

 

親の子に対する「教育権」を「自由権」とみなす考えかたは「自然権」に由来するものです。

ここでは「懲戒」行為を「自然権」に含まれるものとして

それを他の法律からの解釈で補強しているわけです。

確かに親の立場からすると自然な感覚かもしれません。

 

民法の見直しでは「懲戒(権)」という言葉自体を無くす方向ですが

「自然権」からの批判に対しては

習慣・感情も絡みますから条文での見直しだけはなかなかむずかしいでしょう。

 

といって

子ども福祉の一環として叱る(懲戒)というもの少し無理があるように思えます。

 

少なくとも学校では

教師の懲戒権を親権代行とみなす考え方を無くさなければよい教師・生徒の関係をつくっていくことはできないでしょう。