「ご迷惑とご心配をかけました」という謝罪に覚える違和感 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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いつも謝罪の会見で気になる言葉が

真っ先に出てくる定番の

「ご迷惑とご心配をかけました」という言い方です。

(深く頭を下げる、時には土下座)

 

そう言われたって

別にわたしは迷惑もかけられていないし

御社の心配もしていません。

謝られる筋合いはありません。

 

というよりも

いったい誰に向かって何を言っているのかが

それが不明でした。

何でそんな言い方が謝罪になるのか意味不明でした。

会社(団体)が変っても

いつも同じようなシーンをニュースで見せられるとうんざりしてきます。

 

また同じようなシーンを見たときに

突然、その理由が頭に浮かび上がってきました。

 

「そうか。この人たちは元々謝る気がないんだ」

それですべてに合点がいきました。

 

元来、謝るというのは

「弊社(我々)の〇〇の過ちで〇〇に損害を与えたことをお詫びします」

ということでしょ。

でも

そうすると、少なくとも民事責任

場合によっては刑事責任を認める「言質(げんち)」になってしまいます。

 

だから

一見、謝っているような形で

何を誰に(有形無形の)損害を与えたことをぼやかしたいのですね。

だから、あの訳の分からない謝罪はわざとなのですね。

 

日本では問題を起こしてしまったこと自体を問題視し

加害者が罪を認め、反省の姿勢を示すことを要求する。

そこで謝っているんだから許してやってよということになる。

 

米国では問題が何故起きてしまったかの原因と

どう解決するかの説明を被害者に行う。

その中で加害者がどれだけ真剣に取り組んでいるかが証明される。

 

被害者にとって説明なき謝罪は納得いかないし

説明の過程で謝罪が効果的ならしたほうがいい、ただその違いなのでしょう。

 

でも

日本の謝罪会見の文化は報道関係者が作っているのではないかと思います。

記者会見の場ではなぜか記者がいつの間にか全国民の代表として人格でもなんでもあらゆることを非難していいことになってますよね?

 

この流れにしたがわないとどんな痛い目に遭うか分かりません。

ご無理ごもっともにしておかないと。

報道側は自分たちが悪者に天誅(てんちゅう)を下しているつもりなのですから。

 

だから

謝罪の方向は最初から被害者など向いていません。

 

そんな相手に対しては謝ったふりをして

謝らないのが一番いいのでしょうね。

 

せめて

自分が公式に謝るときには

「わたしの〇〇の過ちで〇〇に〇〇の損害を与えたことをお詫びします」

と話始めたいものです。