「維新」という言葉への誤解 「維新」とは「復古」のことです | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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多くの人たちは歴史の教科書と司馬遼太郎の小説のおかげで「明治維新」が輝かしい日本の未来を開いたと教わってきました。

 

でも

実際にはそんなに胸を張ってほめられるようなものではありませんでした。

日本の未来を切り開いたのは「明治維新」ではなく「文明開化」です。

 

今では人気絶頂の「新撰組」も当時のことを知っている人たちからは

賊軍になったことと恐喝同然の献金を要求されたことで忌み嫌われ

京の人々はつとめて忘れ去ろうとしてきました。

 

彼らは歴史の波に翻弄されても歴史を作った者たちではなかったので

歴史学の上でも取り上げるまでもなかったのです。

「テロリスト」と「対テロ警察」の殺し合いがそんなにすばらしいことなのですか?

そして、両者とも尊皇攘夷という主張では何の違いもなかったのです。

 

その新撰組の名が復活するきっかけになったのは

子母沢寛が『新撰組始末記』(ノンフィクション)で掘り起こしたからです。

1969年に大手出版社から出版されました。

司馬遼太郎も晩年の子母沢寛と対談し教えを請いました。

 

明治時代に新撰組の事実が避けられたのは賊軍にされたことでだけはなく

新撰組の活動の全貌がわかると

尊皇攘夷を「称した者」たちが単なる「テロリスト」で

そのテロリストたちを操った勢力の力で明治政府が作られたことがまる分かりになるからです。

あの時代の流れからすればテロリズムという手段を取らなくても合意で新しい政府ができたはずです。

(テロの火をつけたのは井伊直弼の家臣である長野主膳が反対派に死罪を含む弾圧をしたからです)

 

政府がテロリズムで生まれたということがその後の日本の運命に大きな影響を与えたといえましょう。

テロリズムにかかわった人は「圧政」をすることに無感覚になるのです。

 

もともと

「維新」という言葉は

Chinaの古典「詩経」、「大雅」の「文王」の詩の序文からきています。

 

周は旧邦(きゅうほう)なりと雖(いえど)も

其(そ)の命(めい)維(こ)れ新(あらた)なり

 

大意は

「周は、歴史ある古い国ではあるが、新しく天命を得て(天下を治めた)」

 

「維新」は英文では「restoration」と訳すようです。

これは「もとに戻すこと、返還、もとの状態に戻ること、復職、復位、回復、復旧、修復、復元…」という意味の言葉です。

 

「ルネサンス、Renaissance 仏語」も「再生」「復活」の意味で

古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動を指すとすれば「復古」と訳すのが正しいのかもしれません。

 

日本では天保元年、水戸学の大家である藤田東湖が藩政改革への決意を述べる際に引用して用いたのが最古とされます。

この藤田東湖が尊皇攘夷の思想の上での始まりとなります。

 

尊王攘夷派は単なる思想ですが

日本の開国は大公儀(江戸幕府)が倒れて当然だと思うくらいの政治不信を招きました。

物価高騰と感染症の来襲を招き人々は生活に苦しむとともに恐れおののきました。

そんな現状から攘夷は多くの人の共感を得て開国派、外国人へのテロ実行へと結びつきました。

でも、これら事は正式な国交の上で起ったことなので攘夷感情は理解できても逆恨みとしかいえないでしょう。

それに対する「対テロ警察」として浪士たちが名乗りを挙げたのが新撰組です。

(警察と言っても商人たちから強引に「献金」させたのでやくざのみかじめ料と違いはありません)

 

そんなことを知ってか、知らずか

「維新」を政治のスローガンに持ち出そうとする人たちがいます。

一度は「昭和維新」

あの軍部独裁を招き日本を破滅に導くきっかけを作ったクーデター事件を起こした者たちです。

 

実は「明治維新」は明治時代に作られた言葉ですが

あまり流行しませんでした

正式には「王政復古=天皇親政」が正しいのです。

「復古」だから「維新」という言葉が生まれたと思います。

要は「復古」という名を借りた「革新」だと言いたいわけです。

 

そんなあまりはやってもいなかった「明治維新」流行の元になったのは

「昭和維新=天皇親政という名の軍部独裁」を主張するために褒め讃えたからです。

昭和天皇でさえ自分の暗殺と皇統の危機を感じ軍部に反対できなかったというくらいでした。

 

そして、今

「維新」を唱える人たちがいます。

世の「革新」を唱えるのに何で「復古」なのでしょうね。

正直「維新」という幕末、昭和の惨劇を招いた言葉を軽々しく政治の世界で使う人たちの考えることがよく分かりません。

政治を目指しているのに歴史の教養もなく

単純にかっこよいと思っただけなのでしょうか。

 

歴史学によってわかることは「歴史上の出来事は何者によっても正当化されない、正当化とは政治の力で覆い隠しただけである」ということです。