長年フランスにお住まいの著述家、Ulalaさん(@ulala_go)の
※「期待するな」「信じるな」「頼りになるのは自分だけ」…フランス在住者が語る「フランスに来る時の心得」
という投稿があります。
「期待するな」「信じるな」「頼りになるのは自分だけ」
・誰もこちらのことを考えてくれない
・何もかもがうまくいかないことが普通
・扱いも非常に雑
・ちゃんとしてくれる人なんて稀
・期待するな
・信じるな
・頼りになるのは自分だけ
・しかもあなたはただのマイノリティ外人
・そういった状況と戦える人しか来てはいけない
この話からすると
日本で生まれた人ならほとんどがそんな社会では生きていけないと感じると思います。
それでも統計の数字からすると日本よりもはるかに「進んだ社会?」とされています。
男女の平等の度合いを示すとされる「ジェンダーギャップ指数」でも
北欧諸国が上位を占めますが
2023の発表ではフランスは40位/146国、日本は125位と
それでも数字の上では大幅にフランスの方が男女がより平等な社会とされています。
また、国連の「世界幸福度ランキング」というものがあり
2023年版は世界137カ国中で
これも上位の過半数を北欧諸国が占め
G7諸国では、カナダ13位、英国19位、ドイツ16位、米国18位、フランス40位、米国15位。一方、日本は47位でした。
このように数字の上ではフランスは日本よりも差別のない幸福な国なのです。
それでもフランス在住の日系人は
フランスの社会が「期待するな」「信じるな」「頼りになるのは自分だけ」という
日本と比べると不信からの行動原理から成り立っていると感じているわけです。
たとえば
日本では公文書や契約文書なくすとそれこそ組織のトップが謝罪しないといけない大事ですが
実際にノンフィクションの記録を読むと
けっこう多くの国では(フランスも)なくすことが当たりまでのようで
住民はそもそも政府や企業というものを信用していないようです。
それに比べれば
いかに不祥事が続くといっても日本の組織に所属している一人一人の職員は必死になって誠実さを守ろうとしていると言えます。
給料が増えるわけでもないのに誠実に仕事をしようとする日本人のなんと多いことか!
それが日本社会での幸福につながっていないことはみなさんも体感していると思います。
それでも「期待するな」「信じるな」「頼りになるのは自分だけ」という社会では生きたくないというのが正直な感想です。
つまり
何をもって生きやすさと考えるかという基本が全くかみ合っていないのです。
幸福・平等ということを考える時の基本条件が違っているのです。
当然そこで求められているものも変わってきます。
わたしが仕事にしている学習訓練でもそうです。
わたしはフランス式の「作文教育」を高く評価し
自分の作文訓練でもフランス式を元にしてプログラムをつくっています。
フランス在住の中島さおりさんは自分の子育ての体験から
「私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。「抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか」という実に具体的な方法である。(中島)」とフランスの作文教育を評価しています。
でも、算数教育では日本のものと比べるとあきらかに見劣りすると言っています。
※フランスの作文教育と考える方法(中島さおり「哲学する子どもたち」より) 前編
これはどちらが優れているというのではなく
社会を成り立たせているものに違いがあるということです。
フランスでは他人に自分の考えを示すことができなければ幸福に暮らせない。
日本では数の計算が出来なければ生活に困る。
それだけの話です。
Chinaの思想家『荘子』の言葉にこんなものがあります。
「カモの脚は短くとも、それを長く継ぎ足されたら、カモは嫌がるだろうし、
鶴の脚が長いからと言って、短く切ってやると、鶴は悲しむだろう。
だから、長いからと言って切っちゃいけないし、
短いからと言って継ぎ足してもいけない。」
世界の大きな流れには乗るしかありません。
それでも「生きやすさ・幸福」というものは他人の尻馬に乗るものではなく
自分たちで考えなければならないことです