『漢字テストのふしぎ』という高校生が作ったドキュメンタリーがあります。
長野県梓川高校放送部が制作し、2007年の「第29回東京ビデオフェスティバル」でグランプリを獲得したものです。
「みなさん、漢字のとめ、はね、はらいで、厳しく採点されたことありませんか。その採点どんな基準で行われているのでしょうか?
もし、そんな厳しい基準が存在していないとしたら・・・・」
放送部の諸君は今まで漢字の採点について疑問に思ってきた具体例を挙げて、教員や関係者にインタビューしていくのです。
現場の教員と県教育委員会の職員の答えに納得できない彼らは
上京して文化庁国語科・鈴木仁也調査官の所へ行きます。
すると、鈴木調査官は「・・・文部科学省は一貫して、『漢字の指導は柔軟にするべきだ』との見解を出している。…」という答え。
わたしは文化庁・文部科学省国語課調査官を歴任した小林一仁さんが1998年に出版した『バツをつけない漢字指導』で文部省(当時は)の見解を知りました。
実際、入学試験のレベルが低い子たちは漢字の書き方もかなりいいかげんな子が多く
将来の大学入試、就職試験を頭に置いたときに文部科学省見解を尊重しても
子どもたちが世の中で通用するように訓練するのが大変でした。
実を言うと
昭和30年代までは漢字の採点はかなり緩かったのです。
当時は、はね、はらいで不正解にすることはありませんでした。
と言うよりも普通に見てその漢字であることが分かれば細かいところは気にさえしなかったようです。
その状態が変わったのは
昭和40年代に受験競争が厳しくなってからです。
日本の入学試験は競争試験ですからどこかで点数差がつくようにしないとふるい落とすことができません。
細かいところまで見ることによって
漢字の書き取りもふるい落としの手段として使われるようになったのです。
残念なことに口をそろえて漢字は大切だとか言うわりには
日本の大学では漢字教育を専門に研究しているところが全くないのです。
ほとんどの学校の教員も教員免許を取るときには大学入学試験までの知識しかありません。
漢字の系統的な知識をもっているのは漢文学・中国文学を専攻した内のそのまた一部の自力で研究した学生だけです。
そして、就職後自分で漢字の研究をする教員もまれです。
つまり、教員のほとんどは専門的な漢字の知識をもたずに
子どもたちにいちゃもんをつけていることになります。
理屈は分からないが先輩が、みんながそうしているから自分もそうしているだけ。
ですから
研究職である調査官や文部科学省の担当者は答えられても
現場の教員のほとんどは漢字についての知識がありません。
よく分からないまま〇×をつけるならいちゃもんとしか言いようがありません。
学校教育での漢字教育のお寒い現状が分かってもらえるでしょうか。
ただ
これは教員のせいだとは言いにくいところがあります。
その原因が自学自習しなければ漢字の知識が得られないという
教員養成の欠陥にあるからです。
これも残念な事ですが
日本の小学校は学習能力の向上ではなく
生活能力の向上を目指すところのようです。
(中学校もそれに近いようです)
学習能力の向上は塾に任せてしまっていますから。
(学校と進学塾・補習塾が組み合わされて教育システムになっている国は世界で日本以外にはありません)
「とめ、はね、はらい」だけが漢字の重要点ではありません。
もっと大切な漢字をどう書けばいいのか
正しく漢字を書くとはどんなことかという根本的な問があります。
追記
2023年10月28日、放送「チコちゃんに叱られる」の調査で1958年まで
漢字には共通する「書き順」がなかったことが明らかにされました。
文部省(当時)の見解ではこれは教師のためのガイドラインで
決して子どもに強制するものではなかったのです。
その点では番組が言う通りに教員の助けにするためというのはうなずけるところもあります。
それがいつの間にか「規則」だから従わないと間違いにされるものになっていました。
教員採用の資質が「上意下達」になってしまったからでしょうか?
この辺りにも教員養成が本来求められるものとずれてきていることが分かります。
わたしからすると教員の志望者が減った理由は
仕事のきつさよりも
こんなふうに教員の仕事が自主的・創造的でなくなったことの方が大きいと感じます。