オトナのための国語キソ2 きちんと読めない文章が当たり前に通用している? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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わたしはこれからの国語教育は今までのように読解中心ではなく

作文・論文の訓練を中心にする必要があると考えます。

わたしの受験訓練法では文章を書く能力を上げることで

文章の読解能力を上げるという考え方をしています。

 

まず、例として大学入学試験でどんな文章が使われているかみてみましょう。

2020年度 センター試験「国語」からの引用です。

例を示すためのものですから長いのは勘弁してください。

 

「あなたは、港に停泊しているヨットのなかでコップ一杯の水を運んでいるとしよう。そして、同じことを荒れた海を航海しているときに行ったとしよう。港に停泊しているときにコップの水を運ぶのは簡単である。この場合は、できるだけ早く、しかし早すぎないように運べばよいのであって。その最適解は求めやすい。しかし。波風が激しい大洋を航海しているときには、早く述べるかどうかなど二の次で、不意に大きく揺れる床の上で転ばないでいることの方が重要になる。あなたは、膝を緩め、突然やってくる船の揺れを吸収し、バランスをとらねばならない。海の上での解は。妨害要因を吸収する能力を向上させることをあなたに求める。すなわち、波に対するあなたのレジリエンスを向上させることを求めるのである。」

 

この部分は外国語(たぶん英語)からの翻訳文です。

全体に話し言葉で書かれているのに文中では突然「最適解」「妨害要因」という言葉がでてきます。

まず、原文ではどんな言い方をしているかが気になります。

もし、「最適解」「妨害要因」に相当する言葉が使われていても前後の流れからそのまま使うのは正しいのでしょうか?

本当は翻訳者のセンスを疑わなければならないのですが

このような内容の文の翻訳では当たり前のことです。

翻訳者も全く気にしていないでしょう。

 

続けます。

ここからは日本人が書いた文章です。

「この引用で言う「レジリエンス(resilience)」とは、近年、さまざまな領域で言及されるようになった注目すべき概念である。この言葉は、「撹乱を吸収し、基本的な機能と構造を保持し続けるシステムの能力」を意味する。

レジリエンスの概念をもう少し詳しく説明しよう。レジリエンスは、もともとは物性科学のなかで物質が元の形状に戻る「弾性」のことを意味する。六〇年代になると生態学や自然保護運動の文脈で用いられるようになった。そこでは、生態系が変動と変化に対して自己を維持する過程という意味で使われた。しかし、ここで言う「自己の維持」とは単なる物理的な弾力のことではなく、環境の変化に対して動的に応じていく適応能力のことである。」

 

ここでの「撹乱」「弾性」は専門用語ですから

逆に本文中では説明せずに必要があれば別のところで説明するか、自分で調べてもらうのが正しいでしょう。

 

でも、果たして

「領域」「言及」「概念」「保持」・・・ などという言葉は使う必要があるのでしょうか。

これだけ漠然とした言葉を使うならもっとイメージが湧きやすい言葉を使っても問題はないわけです。

このような言い方をするだけで読み方の訓練を受けていない人を遠ざけているのです。

 

加えて

「自己の維持」では「単なる物理的な弾力のことではなく、環境の変化に対して動的に応じていく適応能力」(ここはもしかしたら他の文章か辞書からの引用かもしれません)と言った上で「生態系が変動と変化に対して自己を維持する過程」とまた言い直しています。

 

抽象的過ぎる言い方をまた抽象的な言い方で言い直しています。

きつく言えばこの言い換えは無駄なのです。

ところが漢語を使っているうちに文章に酔ってくるのでしょうか?

 

今でも、四字熟語を使うと何となく勢いが出てきますね。

そのためか昔の軍隊(特に陸軍)の言葉は漢語だらけでした。

「ブッカンバ」で何だかわかりますか

「物干場」世間では「ものほしば」と呼んでいるようですが。

(ちなみに自衛隊でもそう呼んでいるそうです)

 

確かに文章語はだらだら書くのではなく

必要なところでは漢語(熟語)を使って

読み手も読みやすい文を書くことが必要です。

 

でも

残念ながらなかなかそんな文章を書く人はいないようです。

 

生徒に文を読ませることは生徒に対しての文のあり方を示すことでもあるので

こんな文章で普通に学んでいれば

子どもが文章とはこのようなものだと思い込むのが普通です。

その反動か、むしろ

最近は、だらだらと書くのがはやりのようです。

 

そして

わざとむずかしい文章を書いて自己満足を感じている人がいます。

自分の知識をもったいぶって示し

読み手の努力で文章を読ませることを楽しんでいるのです。

すべての文章が分かりやすく書けるわけではありません。

内容そのものがむずかしい文では

簡単な言葉で書くほどかえって分かりにくくなることもあります。

そんな文では読み手の訓練も必要です。

 

今の日本は

すでに日本人のためのやさしい日本語を目指す時代になっています。

特に日本語で外国人といっしょに仕事をするのであればなおさらです。

 

日本語をもっと分かりやすい言葉にするためには

(当然、日常の言葉ではなく仕事、専門分野で使う言葉です)

読みにくい文章を読ませる練習ではなく

どうやって文章で自分の意志を伝えるかということを優先しなくてはなりません。

 

そして

この訓練が「ご無理ごもっとも」ではなく

日本社会での人間関係のあり方を変える始めになると考えます。

 

なお

言葉の言い換えのためには

類語辞典、シソーラス(Thesaurus)というものがあります。

PC上で使えるソフトウエアやnet上でそのためのサイトがあります。

よく、文章を書く人はつかってみるといいでしょう。