戦争の悲惨さを知ることで戦争をなくせるのか? | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

学資・生活費・修学の相談から受験トレーニングまで。オトナ、特に母親ひとり親が「自立できる資格がとれる学校に入る」手助けをします。合格報酬・延べ払い制(交通費・雑費・入試受験料は自己負担)問い合わせは tkano0222@gmail.com、Line公式ID@026nzpas

わたしは平和主義者でも軍備拡張主義者でもありません。

毎年この季節になると戦争(の悲惨さ)を語り継ぐことが話題になります。

そこでいつも疑問に思うのは

個人が悲惨さを知ること、個人が反戦の思想をもつことで戦争はなくなるのでしょうか?

 

わたしは日本の普通の人の平和主義(反戦感情)は

一部の人が言うような占領軍や戦後の米国の利益代表者のいわゆる「自虐史観」を押しつけたせいだと思っていません。

 

それは単純に日米戦で心が折れるほど徹底的に負けた結果です。

戦闘での名誉の戦死ならばともかく

離島で補給が途絶えての飢え死に、病死

輸送船が撃沈されての水没死など

戦死者数の過半数が一方的に抵抗も出来ないで死んでいったという事実を知ったからです。

そんな軍や軍を止められなかった政府への不信が反戦感情へと向かっただけです。

 

それよりも

「戦争は社会現象であって心理現象ではない」

時に異常人格の人間が戦場で活躍することがありますが

戦場ですべての人が異常になるわけではないのです。

戦場で破れかぶれではなく

最も勇敢なのはよい夫、よい父… 義務感で戦う者なのです。

 

戦争は究極の暴力ですが

決して個人の暴力の延長線上にあるわけではありません。

 

日本には公式には軍隊がないので

軍は巨大な役所であるということは実感されていません。

確かに仕事の内容はちがっていても

決まったことを決まったように行うという意味で他の役所と違ったことはありません。

 

戦争は決して個人の行動や狂気の技でできるものではなく

膨大な書類やものの準備で成り立つ正気の技なのです。

 

だから

個人の闘いではなく文明の結果である戦争を

人間の攻撃性で考える(特に雄の方が強いのはよく知られている)のには無理があります。

 

日本が過去15年にもわたる戦争の道を歩んだのは

軍人が戦争が好きだったからではなく(自分が死ななければ好きな人はいたようですが)

わたしは経済政策(平価金解禁)で失敗して大不況を起こした政府・政党が信頼を失って

軍だけが日本を貧困から救うと期待した国民の支持によるものだと考えます。

軍は国民の期待に応えようとどんどん暴走していき、国民も暴走を支持しました。

 

だから

個人がどうするといった考え方で戦争を防ぐことはできません。

たとえ独裁者が命令をしてもその国家・社会が戦争を求める・必要とする状況がなければ

組織としての軍が動くことはありません。

社会現象は社会現象として解決する方法を考えることが必要です。

 

結局、戦争を個人の性質の問題だと考えれば

正しい道徳教育ができれば犯罪がなくなると考えるのと同じ発想です。

一見正しそうなことは逆に無意味に人を縛る結果になることがあります。