ネット上で探すと「算数」と「数学」の違いを取り上げるサイトがたくさんあります。
あるサイトでは
*「算数」の目当ては「正しく計算をすること」で、日常的に使う数字について興味を持ち、計算ができる様にすることに重点が置かれています。
*「数学」の目当ては、「何故そうなるのか」と考えて、自分で正確な論理を立てることが重視されます。
と説明しています。
だいたい、こんな所でしょうか。
でも、わたしが気になるのはなぜこの二つを区別するのかということです。
わたしから見れば共に「数言語」という言葉を学ぶものだと考えるからです。
名前が違うから内容が違うのでなく
なぜ、使い分けているかということです。
Englishであれば辞書を引くと
「算数」arithmetic
「数学」mathematics
と翻訳されます。
そうすると、英米では区別があるのかと思えば
実際には小学校の子どもたちは普段「math」と呼んでいて
使い分けはされてないと聞きます。
そうすると、日本での区別は元々根拠があったのかと考えたくなります。
学習指導要領では以前から「算数科・数学科」と併記してあるので
そこから考えると基本的には学年配当の違いであって本質的に違うものではないということでしょうか?
では、なぜそこで
「計算ができる様にすることに重点」「自分で正確な論理を立てることが重視」というふうに違った理解がされてしまうのかということです。
わたしは今、学校教育で騒ぎになっている「掛け順」にかかわる論争と
区別することにどのような意味をもたせるかということがかかわっていると考えています。
そこでわたしの頭に思い浮かんだのは
「軍隊ドイツ語」と呼ばれる言葉です。
かつてハプスブルク帝国という国がありました。
ドイツ語を話す者たちが支配階級であった多民族・他言語国家です。
近代軍隊をつくるときにドイツ語を話す士官たちがドイツ語を話さない他言語の兵たちにどうやって命令するかということが問題になりました。
(それまでの部隊は民族・部族別編成)
帝国軍では軍隊ドイツ語という軍隊に必要な200語ほどのドイツ語の単語だけをつかった軍用言語を作り上げました。
同じことは二次大戦のロシア軍でも起ったのですが
ロシアではその場しのぎで体系的な取り組みはなかったようです。
それと比べると帝国は体系的に問題を解決しようとしたわけです。
なぜ、それと今回の話題とが関係するのか?
わたしの言語として数学を学ぶという考え方からすると「算数」はまさに「数学」の軍隊ドイツ語版と考えられるからです。
フルパッケージに制限をかけた実用優先の限定パッケージです。
つまり
「数言語」というとらえ方からすると
算数・数学ともに考えることを目的にするのではなく
言語ですから考えるための道具を学ぶということになります。
元々は実用を目的にしたのではなくとも科目分離により実用を目的にしなくてはならなくなったということです。
まだ、キャパシティ(容量)の少ない子たちが異言語を身につけようとするときには制限をかけるしかありません。
そこから「掛け順」という発想が出てきた理由が思い浮かぶのです。
算数での掛け順が数学では無意味になるかどうかという論点ではなく
逆に算数と数学を分離したから掛け順という教育法の発想が生まれたという理解です。
以前、乗数、被乗数という考え方は日本由来のものではないという論文を見ました。
それが「掛け順」という教育法に取り入れられたのは遠山啓さんの発想ではないかと説があります。
どうも遠山さんは子どもたちが決まったスタイルに従えばある程度自動的に文章題が解けるというシステムを考えていたようです。
書かれた文章からはそのために「概念形成」を図っていた気配が見受けられます。
残念ながらそのアイデアが現在の混乱を招いたと言えないこともありません。
今、掛け順の賛否を考えるときに「算数科」と「数学科」に分離される意義から考える必要があると思います。