いき過ぎた「安全」が子どもを危険にさらす オトナがなすべきこと | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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自分の安全は自分の責任で自分でしか守れないことは

たとえ強制しても本人に知らせなければなりません。

これは学校の教師だけでもなく親だけでもなく

オトナの仕事です。

 

でも、そうならない理由はどんなことがあるのでしょうか。

 

彼らは考えもなく行動するというよりも衝動で反応しているのです。

よりよい行動・判断をするためにはより多くの経験が必要なのです。

経験をレベルアップするためには必ず失敗・愚行が必要になります。

 

失敗と愚行の違いは

失敗は結果としてしそこなったことも含むのに対して

愚行はもともと最初から批判されると分かっている行いです。

 

「愚行権」という考え方があります。

これはジョン・スチュアート・ミルの考え方から出てきたものです。

ミルは「愚行」というものを合理的ではないが

人類にとって欠くことができないものであると考えたようです。

でなければ「愚行権」というものを考えたりしなかったのではないでしょうか。

 

「愚行権(the right to do what is wrong/the right of(to) stupidity)」とは、

「他の人から「愚かだ」と言われる行為であっても、個人のことであれば誰にも邪魔されない自由のことで

生命や身体など自分のものであれば、他者へ害を与えない限りで、愚かだとみなされても、成人であれば自己決定権のうちだという主張である。」

 

愚行というのは読んでその通りの「愚かな行い」です。

 

しかし

人類の発展は「愚行」での経験の蓄積なしではあり得ませんでした。

科学技術が発達する以前は非常識と思われる行いがなければ

類人猿からの長い歴史の中で人類は滅びていたかもしれないと思っています。

(「種痘」などは自分で病気にかかることですから明らかに回りからは愚行と考えられたと思います)

 

ミルは権利として「愚行」を許されるのは大人だけと考えました。

しかし

子どもは試行錯誤を通じて自分で考える力を身につけていきます。

当然、試行錯誤の中にはたくさんの愚行が含まれます。

自分の身を守るための一線を教えない教育(しつけ)は教育(しつけ)の名に値しないのは当然です。

 

それでも

「愚行」を通して年齢に応じて自分で考え判断の訓練をすることが自分の身を守る第一歩になります。

「愚行」をしなかった者はきっと本当の危険を知ることもないと思います。

 

注意深く考えられた「安全」に守られるのではなく

事なかれのための行きすぎた「安全」で守られることは

本人が一番危険な時に身を守れないことにつながります。

 

ただし、強制された「愚行」は同じように見えても「愚行」とは全く違ったものです。