「国語改革(漢字制限)」と「ルビ(振り仮名)」をめぐって | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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本文についている振り仮名のことを「ルビ」と呼ぶことは知っていますか?

「ルビ」とは活字の大きさの呼び名でした。

この活字が振り仮名を付けるのにつかわれた振り仮名のことをルビと呼ぶようになりました。

明治期つまり19世紀後半のイギリスでは活字の大きさを宝石の名前をつけてよんでいた。

 

1946年の国語改革で「旧かな・旧漢字」が「新かな・新漢字字体」に変わりました。

このときの国語改革(漢字制限)の条件に「総ルビ廃止」があったのです。

これも改革の議論の争点の一つでした。

 

それまで漢字制限をやってこなかった理由のひとつに「総ルビ」があったのです。

戦前の新聞を見てもらえばわかるのですが

漢字制限がない代わりにすべての漢字にふりがながふってありました。

 

学校に行けない・途中で学業を終わるしかなかった人でも

本人の意志で新聞や雑誌をみて耳学問(?)で学ぶ機会がありました。

 

当時の国語改革の主流は漢字を廃止して「カナモジ・ひらなが」か「ラテン文字(ローマ字)」にすることでした。

特に占領軍は日本国民が愚かな(?)戦争に協力したのは

日本語がむずかしすぎてわけがわからなかったせいだと分析していました。

 

漢字を覚えることが子どもたちの重い負担になっている

アルファベットに比べると仕事の量を増やしているというもっともな意見もありましたが

強力な漢字廃止論の主張者には個人的に漢字にうらみをもつ人がいました。

(漢字が書けずに恥をかいたとか)

彼らは占領軍の尻馬に乗ることで一時は漢字廃止の一歩手前までこぎつけました。

 

結果としては廃止論者とのつり合いをとる形で

漢字制限(当用漢字1850字)ということで話がつきました。

(「当用」とは「さしあたって」、将来はなくすという意味です

 漢字廃止を前提とした議論であったことがわかります)

 

その時に漢字制限で話をまとめる条件として

新聞・雑誌で基本的に「ルビ」を使わない

読みがなをつけなくてもわかる文章にしなさいということになったのです。

 

しかし

それはどうせ将来漢字をなくすつもりなのでどうでもいいという立場での妥協でした。

結局は当用漢字の書き方(字形)以外で漢字は野放しとなり

かえって漢字を使うときの混乱を招きました。

(当用漢字は画数を減らしたが

それ以外の漢字は元のままだったので

 漢字全体を書きやすくすることにはならなかった。

 漢字の読み方制限をきちんとしなかったので

 人名漢字でおかしな当て字を許すことになった などなど)

 

でも一番影響があったのは

「学び」と「学校利権」への影響です。

総ルビの時代にはけっこう耳学問で学ぶ人への心づかいがありました。

学校に行かない人でも学校の講義録が売られていて

総ルビですから本人の努力で読むこともできます。

(読めなければ辞書も引けません)

 

わたしは総ルビの廃止で結果として学校に頼らなければならない状況ができたと考えます。

「学び」は学校が独占する時代になったのです。

確かにたいていの子にとって学校で教えてもらう方が楽です。

それは学びの広がりを狭くすることでもあります。

 

「学び」というものは単純な思い込みで簡単にすればいいのではなく

合理的な訓練で必要な力をもつような仕組みをつくることが大切です。

思いつきで行なわれた「改革?」が良い結果を残したことはほとんどないのですから。