校則を変えるのは学校ではなく社会です 風評被害が強要する校則 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

学資・生活費・修学の相談から受験トレーニングまで。オトナ、特に母親ひとり親が「自立できる資格がとれる学校に入る」手助けをします。合格報酬・延べ払い制(交通費・雑費・入試受験料は自己負担)問い合わせは tkano0222@gmail.com、Line公式ID@026nzpas

今日早朝に「校則は変えられる時代へ」という中部7県限定の番組が全国放送されていました。

 

今年6月には文科省も校則を「積極的に見直」すべきと通知があり

あまりにも時代に会わないものや

「下着の色まで指定」

などという規則は確かに行き過ぎたものです。

 

確かに校則を変えるのは学校・教師です。

しかし

社会の学校に対する見方(偏見)を変えない限り

また、校則が元にもどるかもしれません。

 

わたしが勤務していた36年間の内の25年間くらいは

入試ランクが最低線の学校です。

(中の下を超える学校で勤務したことがありません)

 

担任していて

学年の始めに保護者を呼んで話をしていたらこう言うのです。

「回りのうわさでは怖そうな学校と聞いていた。

うちの子は成績が良くないので他に行ける学校がなかった。

 

でも、

確かにやんちゃ過ぎる子もいるが

実際子どもが学校に行ったら普通の学校ですね。」

 

この家では結局、最初の子が居心地がよかったせいか

三姉妹全員がこの学校に入学しました。

言ってみれば「風評被害」です。

でも、そのせいか入試ランクはずっとそのままでした。

 

高校と違って行く先を選べない小中学校ではなおさら厳しいことになります。

実際、厳しい評判が立って

私学に通わせる余裕のある親は子どもをやらない中学校の話も聞いたことがあります。

この学校では一部の子の行動があまりにも目に余り

となりにある小学校から丸見えなのです。

(わたしも目撃しましたので事実でした)

子どもがとなりの中学校に進学するのを嫌がっているので仕方がないと言えばそうなのですが。

 

この市では学校が荒れると重点校にして教員を増やします。

そうすると予算に限りがあるので他の中学校の教員が減ります。

 

すると

別の中学校が落ち着かなくなることのくり返しだというのです。

 

自分のことでなければ「風評」など面白半分、無責任なものになります。

現場の人間は風評から職場を守るためには必死になるしかありません

 

その風評でやり放題と勘違いする子どももいるようです。

小学生が規則を守るのはたいてい(特別に批判能力がある子を除けば)

正しいかどうかからではなく規則だから守ります。

小学生とはそういうものです。

 

ところが

中学生になると最初から規則そのものを守らない子がでてきます。

(実は小学生のころからそうだったことが多いのです。

小学生のころはさすがに体力差がありますが

中学生になると押さえがきかなくなるのです)

 

そこで守る気がない子に守らせようとすると

一つ一つのことをはっきりさせないと揚げ足を取られます

 

たとえば

制服で太股がむき出しなのはドレスコードから考えてよくありません。

(言っておきますがわたしは制服がなければこれに是非の考えはありません。本人が思う通りでいいと思います)

規則で「スカートで膝が隠れるように」とすると

膝が隠れるって膝から何cmかを決めないといけないという風にです。

当然、そこでは実際に測って数字で示さないといけません。

時にはこれを子どもではなく保護者が要求してくることがあります。

 

もともと、守らない子に守らせようとすれば

だんだんと規則はエスカレートとしていきます。

細かいところまで決めないとごねられます。

仕舞いには規則ずくめになると

規則を守っている子まで細かいところまで決めてくれないと困ると言い出します。

このくり返しと範囲の拡大が現状をつくったのです。

 

確かに現状はやり過ぎです。

 

ただ

この状態が今突然起ったのではなく

これまでの積み重ねから起きたということなのです。

 

人間が集まっている限り規則がなければ弱いものを守ることはできません。

でも、実際の校則は守っている子たちのためのものではなく

守らない子をどうするかの方を向いて

どんどん厳しくなっています。

 

 

ここでは取り上げませんが

加えて「境界知能」の子が規則と協調することがむずかしいという現実もあります。

 

※《書評》『反省させると犯罪者になります』、『ケーキの切れない非行少年たち』 その2

 

日本の学校制度は明治に学制ができて以来文部科学省(旧文部省)の勢力拡大のために

学校を社会に開かれたものにするのではなく

社会を学校に取り込むことをしてきました。

(世界では学校での直接の教育内容まで中央官庁が監督している国は他にありません。

たいてい地方政府の権限です。

ここから学校利権が生まれます)

 

そして社会と学校が分離されてしまい

世界でも奇妙な現実ができてしまいました。

その現れの一つが異様な校則でもあります。

 

これらの点を押さえなければ

理想を主義として主張する者がいる限り必ず現実という名を語って批判する者が出てきます。

きっと、規則に対して規則優先派と反規則派という風な不毛な議論へと向かいかねません。

 

異様な校則が変わるためには

学校よりも先に社会が変わることが必要なのです。

無責任な風評被害がなくなって初めて子どもたちが自分で考え選ぶことができるようになるのです。