治らないけど治る? 発達障害(神経発達症) 病(~症)と障害を区別する | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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「発達障害」という言葉はもう一人歩きの度が過ぎて誤解の原因になっています。

「発達障害」という言葉の方がよく知られているから見出しに使っていますが

呼び名としては診断名の「神経発達症」が広まってもらいたいものです。

 

治らないけど治る

変な言い方です。

「わけわかんない?」は当然ですね。

 

でもこれは

「病」としては治らない

「社会適応」としては治る(改善できる)ということです。

 

そもそも現在の「神経発達症」の所見は「~ができない」を診断基準としていても

「脳」に原因があり不都合が起きているという考え方をしています。

 

つまり

どんなにそれらしく見えても

大脳生理(大脳の働き)に異常がなければ「神経発達症」と呼んではいけないのです。

はっきり区別するためには呼び名を「発達障害」から「神経発達症」に変えた方がいいでしょう。

 

これは生まれながらのものですから

将来、脳の働きそのものを変える方法が見つけられないかぎり治ることはありません

(薬で不都合の修正ができなかいという考えもありますが効くものほど副作用があるのは当然です)

 

ただ

経験的には

人には自分の不都合を修正する働きがあって

現実に訓練の仕方によっては脳の変化で不都合が補われることがあります。

残念ながらまだその仕組みはよく分かっていません

 

残念ながら

訓練すれば治る

あまりにこの考えに囚われると

子どもの虐待につながります

わたしは実際仕事の上でその実例を見ています。

 

まだ、分からないことだらけですが

作業仮説」には

発達症患者は「感覚異常」をもっていることが多く

器質(脳)の異常よりも

それから起る感覚異常の方が

本人の社会適応を妨げているのではないかというものがあります。

 

回りから見て本人の異常行動と思われることは

感覚異常の不快感から逃げ出すための行動が習慣になってしまったものが多いようです。

まだ異常行動が習慣になって

回りとこじれていないうちに

できるだけ感覚異常が不快感と結びつかないように療育すれば

年齢とともに適応できることが多くなるということになります。

違いを不利益にしてしまわない

これを親(療育者)や医療者の仕事ということができるでしょう。

 

「治らないけど治る」にならないのは医師と親(療育者)のすれ違いに原因があります。

器質障害(病変)だから医師は治らないというのは当然です。

医師は間違ったことは言っていません。

薬で症状を抑えられるなら投薬するもの理屈に反していません。

(実際には、薬使っても医師がモニターし続けなければ難しいんです。そして、日本の医師は薬をつかうのが下手な人が多い。

薬の基本が分かっていないから多剤処方を平気でやります)

 

でも

親(療育者)にとって意味があるのは診断ではなく

その診断が社会適応のためにどう役立つかです。

病であろうがなかろうが

社会適応ができていればそれでいいわけです。

 

病は社会適応ができないときにはじめて障害になります。

障害は「できないこと」ではなく「できないことでの不利益」があって障害になるのです。

 

わたしは親(療育者)の医師への不信・批判をみるかぎりこの点に理由があると考えています。

医師にとっては症状をどうするかが仕事で

社会適応まで考えれば抱えきれないものまで背負うことになります。

そして

医師のトレーニングにはそのことは含まれていません

 

日本では(日本に限りませんが)医師と患者(家族)・社会との間をつなぐ仕組みがうまく働いていません。

特に精神医療では結局医師の個人技に任されているのです。

 

このあたりがかみ合わずに両者が不信感をもっている

これが今の日本の現状です。