「目玉焼きモデル」とは
※「宮澤孝幸教授の同心円モデル」の解説
https://www.decorare-kudou.com/posts/11769880
①を中心とした5層の感染状態の「同心円モデル」です。
この図は同サイトからの引用です。
*1/100の1作戦とは「触った手から目や口、鼻、呼気から入るものが100分の1になるようにする」ことだそうです。
(これって「ウイルス感染」ではなく「細菌感染」対策の発想の気もしますが)
宮澤さんは
日本ではゾーン3~5がとても広く1と2が狭いととらえています。
そこが欧米との感染者数の違いととらえているわけです。
問題なのは
不急不要の外出を減らせといっても
ゾーン3.4の人が5にいくだけ
働いているゾーン3.4の人を5にしてしまえば社会活動が止まってしまいます。
医療・介護も止まってしまうわけです。
そうすると
必要なのはゾーン3.4の人が
仕事の性質に応じて十分な防御がとれるようにすることです。
だから
「目玉焼きモデル」と比べれば
単純に「流行拡大を防ぐには人との接触を8割削減することが必要」という
8割おじさん西浦博さんの主張は意味があるようで意味がない主張ですね。
もともと8割は理論上のもので
具体性はなく何を意味するか意味不明でした。
今、8割おじさんの評価の賛否が完全に割れてしまっています。
双方の支持理由を見るとこんな感じです。
*支持者
「父権主義的な政策決定から科学的根拠に基づく政策決定に変わっていくことを期待」
*非支持者
「専門家に求められているのは
新型コロナという疫病のリスクに関する客観的な評価であって
政策を主張することではない」
「…彼にとって(ウイルスを)許せなく根絶したい欲求体質なのだろう
でなければ、煽りにより権力を支配したがるマスコミ連中と迎合するはずがない」という厳しい批判もあります。
実際、西浦さんは理論疫学者です。
わたしは「地球温暖化モデル」と同じように「理論疫学」に疑問をもっています。
(ただし、気候変動は否定しません)
疫学は因果関係を明らかにするものではなく
相関関係から事実を明らかにする手法です。
因果関係が不明なときに力を発揮する方法です。
疫学は現実優先であって理論優先であってはならないのです。
だから
感染者、死者予想が大幅にずれると苦しい言い訳しかできないんですよ。
そして
ウイルスを絶滅させようという発想など
「天然痘撲滅」の夢をまた見ようとしているとしか思えません。
(あれだけの好条件がそろったのは奇跡としかいいようがありません)
そんなことを考えているからウイルスに逆襲されたりします。
ウイルスも地球上に住むひとつの生命体であるからには
バランスが揺れながらも共存するしかないんです。
じゃあ必要なのはどんなことか?
「目玉焼きモデル」での3と4の人たちの感染機会を減らすことです。
西村秀一さんの『新型コロナ「正しく恐れる」』によれば
人の呼気の90%は鼻からで
しかも、わざと吸い込むようにでもしないとウイルスは簡単に鼻から入るものではないそうです。
それでも感染するということは
ウイルスがあれば簡単に感染するのではなく
数え切れないほどのトライアルの上でわずかな機会をものにすると考えたほうがいいでしょう。
とすると
感染の可能性は「感染確率」としてとらえられなければなりません。
「その場の感染しやすさ」×「暴露時間」×「防御の度合い」ということになります。
そうすると必要なのはウイルスに暴露される機会を減らすことです。
a感染確率が高そうな所を避ける
b暴露時間を減らす
c完全に防御する(自衛隊の例があります)
エセンシャルワーカーのような人どうしてもaを避けられない人たちには
「接触を8割削減」とか言うのではなく
仕事内容に応じたbかcの方法をとるしかありません。
医療や介護の仕事であれば
もっと交代時間を短くすること
防御を完全にすることを保証しなければなりません。
感染症病棟なら一日最低4交代以上ですね。
流行が長くなることが分かった時点で予備要員の準備が必要でした。
どんな仕事でも全く安全な仕事はないわけですから
医療者のまるで特別攻撃(特攻)に向かうような悲壮な心理状態を変えなければ
潜在資格者や他業種で解雇された人材も現場に来てくれることはないでしょう。
医療関係者が避けられている理由には
彼ら自身が過剰に感染の恐怖におびえているのを見ていることにもあるのですから。
単純に回りの者が差別的だといってもしょうがないのです。
現場の人間に安心感をもってもらうことでしか就労者を増やすことはできません。
当然、人件費は増えますが
国家存亡の時ならそれを工面するのが政治の仕事です。