みんなで仲良くしなくてもいいから 相手を侵さない これからの時代をどう生きるか | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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6月になって新コロナ騒動で休校になっていた学校も再開が始まっています。

でも

かえって学校が始まると憂鬱に感じる子たちもたくさんいると思います。

 

日本では学校に行くと(特に小学校)では

みんな仲良くしなさいと言われます。

わたしはこれを「なかよし主義」と呼んでいます。

社会人になってもこの考えの影響下にあります。

 

「なかよし主義」って本当によいことなのでしょうか?

人同士って仲良くしなければならないものなのでしょうか

ただし

わたしはケンカしなさいと言っているわけではありません。

仲良くすることを強制するなということです。

みんな仲良くって、もし本気で考えているなら

その人は尊敬しなければならない人なのかもしれませんが

やはりよけいなことです。

 

たいていの人は本心ではなく

めんどうにかかわりたくないないから仲良くって言っています。

そう考えると思うのは

わたしの心がねじ曲がっているからなのでしょうか。

 

誰だって反りが合わない相手もいます。

触れあいたくないこともあります。

好き嫌いは人間の当たり前のこと

子どもだって同じです。

 

子どもでも大人でも守らなければいけないのは

心の中では何を考えてもよい

人を殺してはならない

お互いの存在を認めあおう

の三原則です。

 

特に「仲良くしなさい」と「存在を認めあう」ことは

似ているようで全く違います。

「存在を認めあう」ことは

積極的な認め合いだけではなく

「無関心」という認め合いもありですから。

 

「無関心」は悪いことのようにいわれることも多いのですが

わたしは「無関心」は相手を攻撃するよりも

ずっと上等であると考えます。

 

実は、これって

ヨーロッパの近代国家の基本なのです。

宗教戦争が終わったことで中世が終わり

近代国家ができていったわけですが。

 

近代は

宗教戦争を起こした行き過ぎた正義感を捨てようとしてきました。

正義感という上下関係をやめたわけです。

(これは21世紀なっても大変むずかしいことです。

現在でも道徳で国同士の上下関係をつくろうとする国がありますが

戦争は社会現象であり、心理現象ではありませんが

20世紀の戦争をむごたらしくしたのは正義感です)

 

そのために

どんな大国でも小国でも対等であるという原則から始まり

後にこれが国と国民の関係にもなっていくのです。

それと

何を考えても行動に移さないかぎり責任を問われないという原則です。

何を信じようとも他人に害を与えない限り責めてはいけないということです。

 

国であっても個人であっても

互いに「内心の自由を侵さない」ということが近代という時代の原則になるのです。

きっと、日本という国は「内心の自由」というものに鈍感な社会なのでしょうね。

 

「無関心」の自由とかかわることですが

「孤独死」って悪いことなのかということです。

いつも気になっていたことですが。

「孤独死」ってとても悪いことのようですね?

「孤独死」を許さないっていわれると

「孤独死」するってまるで犯罪のようですね。

 

一人で死にたくない人が

一人で死ぬことを強いられるであれば

それは不幸なことですが

自分から選んだ「孤独死」は人に憐れまれることなんでしょうかね?

(まあ、後始末ぐらいは自分の責任でやっておけという話ならわかります)

 

そこによけいなお世話を感じるのはわたしだけなんでしょうか?

 

家族が社会保障だった時代

(子どもが親を養うということです)

確かに

孤独死は反社会であり

もしかしたら犯罪だったのかもしれません。

 

でも

今の時代、自分から孤独を嫌わないというのも

人にもたれかからないことも

一つの生き方です。

人を憐れまないし、憐れまれない

というのも「内心の自由」と組み合わせになっているものではないでしょうか。