橋本武さんが中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」を行っていたことは灘校の伝説になっています。
もともと灘校は灘の酒屋の子弟が当時のトップ校だった旧制神戸中学校になかなか入学できなかったので、自分たちの子どものためにつくった学校でした。
戦後の学制改革の直後から急にレベルが上がりよく知られるように超進学校になったわけです。
ちょうど、橋本さんが『銀の匙』の授業をはじめたころがその時期だったのです。
しかも、橋本さんの持ち上がり学年(中高6年間持ち上がり)のサイクルだけが突出した進学実績を残しました。
それで「『銀の匙』授業」が大変注目されることになりました。
橋本さんの授業のやり方は次のように説明されています。
(授業の様子は『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』で知ることができます)
単に作品を精読・熟読するだけでなく、作品中の出来事や主人公の心情の追体験にも重点を置く
手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛けが施され
様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされていた。
授業の流れは、通読する→寄り道する→追体験する→徹底的に調べる→自分で考える。
(各章のタイトル付け→要約→自作の『銀の匙』づくり)の順を追う。
また、教材として『銀の匙』を選んだ理由として
主人公が十代の少年であるので生徒たちが自分を重ね合わせて読みやすい
夏目漱石が激賞したほど日本語が美しい
明治期の日本を緻密に描いているため時代や風俗考証の対象にしやすい
新聞連載であったため各章が短く授業で取り扱いやすい
やや散文的に書かれているため寄り道しやすい
といった点が挙げられています。
「主人公の心情の追体験」という方法は同調圧力を生むことになりやすいのですが
このやり方からすると空気を読むためでも入試のためでもなかったことがわります。
わたしには「『銀の匙』授業」でいう心情の追体験とは
子どもが「子ども時代への懐かしさ」から「未来への自立」へ向かうという通過儀礼のようなものだと思います。
「横道へ外れすぎではないか」との批判を受けたが、これこそがこの授業の最大の目的とする所だったのです。
わたしも文学作品を読むことは可能な限りその周りにあるものもいっしょに読んでいくことだと考えています。
「『銀の匙』授業」への批判に
「国語を教えるならもっと人生観を広げるような本を読ませて視野を広げさせるか、それとも「国語を語学として教える」という方法論で授業をするかですよ。」というものがありますが
「人生観を広げる」これも一種の理想主義の押しつけでしょう。
遊びがない・余裕がない理想主義は簡単に同調圧力に変わります。
子どもは簡単にそれが唯一無二の正義だと頑なに思い込みます。
このような批判には灘校が超進学校になった結果から「『銀の匙』授業」を魔法の道具のように考える人たちへの反発があるのです。
わたしは「ムダな寄り道」と「合理的な訓練主義」との間に矛盾を感じていません。両方あっての自国語教育です。
教師にはそれを両立させる能力と余裕が必要なのです。
「理想主義の道具」にも「受験の道具」にもしない節度が子どもたちの自立を育てていきます。