ここでの「神様」とは神道の神を指します。
神道の神は人の祭り(奉仕)を受けますが
それに応える応えないは神が決めるものなのです。
供える方にも邪(よこしま)なこころがあっては
神は応えてくれません。
誠心誠意ひたすら神を敬い祭るのです。
それが神道でいうところの「敬神」です。
だから、芸事では神に奉仕するためにひたすら精進し高みを目指すのです。
有名な三波春夫さんのセリフは
自分の誠心誠意を込めた芸を澄み切ったこころで受け止めてほしい。
その時に歌い手も客も本当に最高の場を共にすることができる。
観客も神の座に登ることができる。
そんな最高の芸事を目指すためのものです。
歌手も客も互いに媚(こ)びを売れば
すぐに、芸はいやしいものになってしまいます。
「三波春夫オフィシャルサイト」より
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです。
…また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。』
実はわたしは三波春夫さんの話以前にこの「敬神」については
三島由紀夫さんの『豊穣の海』で知っていました。
(三島由紀夫さんという人に対しては色々な受け取り方があると思いますが)
だから
三波さんの説明はすぐに納得しました。
神への謹み、人への慈(いつく)しみを失い
自分の欲望を素直に露(あら)わにすることこそ正しいと考えるのが普通になってしまった今
三波春夫さんが示そうとした「敬神」の思いを受け取ることはできないのでしょうね。
いちげんはんく その38