一見無料はよさそうに見えますが、人は金を支払うことで真剣になるものです。苦心して金策すればなおさらです。また、「支援がもたらす贈与の負債」という言葉があります。いくら対等なつもりでも一方な恵みは相手との上下関係を生みます。一方的な善意は相手に引け目を与えます。
世の中では公立学校はいいかげんで私学や塾はよくやっているように言う人が多いようです。例えば受験予備校の講師はすばらしそうに言われますが、サテライト放送やテキストを見ると公立学校の教員がすべてで全く劣っているとも思えません。それで、思い当たるのは教師の質よりも有料であることからくる真剣さがまず違うことです。有料だと思えば授業中何もしなかったり騒いだりすることはしないでしょう。
このブログを真剣に読んでトレーニングを受けることを決意する人は、言ってみれば後ろ向きでプールに飛び込むような決意と勇気とを必要とします。まだ、実績がない海のものとも山のものともわからない怪しい相手の口車に乗るわけですから。職場の元同僚に事業プランの話をしたら一言で「怪しい」と言われました。
私は相手にだけ一方的にリスクを求めません。その勇気に敬意を払い私もリスクを負います。私のプランで私の責任でトレーニングする以上、不合格であれば私が責めを負うのは当然です。自分の立場の範囲で負えるものは何かと考えたときできるのは合格報酬制という結論になりました。
わたしはみなさん全員を合格させることをたやすいことだと思っていませんが、不可能なことだとも思っていません。国家試験受験資格が取れる学校に入学すればいいわけで、特に学校を選ばなければ入学が無理だとは思っていません。ただし、試験は水ものですから絶対はないと考えています。
また、みなさんにとってのハードルは入学試験だけではありません。ここ20年間の医療の学校のレベル低下は目を覆うばかりで、入学よりも修学のほうが難しくなっています。以前は入学試験が難しかったので入学者はたいてい卒業できました。しかし、今では卒業できない者でも入学させないといけない状況なのです。看護学校では入学者の3分の1が中退する学校も珍しくはありません。
ですから、入学後の学習に耐えられる訓練をすることを目的とし、受験技術よりも基礎を身につけることで入学試験に合格できるようにします。本来は卒業保証と言いたいところですが、入学後はその学校にまかせるしかありません。それでも卒業までは力になりたいと思います。